飛鳥文化のはじまり

飛鳥寺は、倭国ではじめて本格的な仏教寺院です。日本ではじめて建物に瓦をとりいれたことでも知られています。その瓦の作り方は百済は技術者により日本列島に伝えられました。飛鳥寺の瓦の模様は、百済の瓦とそっくりです。

 

 

寺院で中心となる仏像を安置した建物を金堂とよびます。現在の飛鳥寺にのこる釈迦如来像は飛鳥寺を建てたときにつくられた銅製の本尊です。この像は東部などの一部しかもとの姿を残していませんが、かつては全身が金色に輝いていました。

 

 

古代の大寺院には金堂のほかに高くそびえる塔、おもに仏教の講義を行う講堂など多くの建物があります。それらの建物をまとめて伽藍といいます。

 

 

 

飛鳥寺の発掘調査では、現在の釈迦如来像のある場所に金堂、その南に塔があったことは確認されました。

 

 

ふつうは、この金堂と塔を長方形に取り囲む回廊という屋根付きの廊下があるのですが、飛鳥寺ではいくら掘っても回廊が見つかりません。そのうちに塔の東と西からさらに別の金堂が見つかりました。日本ではほかに例がない、1塔3金堂の伽藍だったのです。

 

 

 

この飛鳥寺の発掘により、1塔3金堂の飛鳥寺が最初につくられ、次に大阪市の四天王寺のように塔と金堂が南北に縦方向にならぶ寺があらわれたことが明らかになりました

 

 

法隆寺(現在の西院伽藍)は金堂と塔が東西に並びます。飛鳥寺や四天王寺のような伽藍のならびかたは高句麗や百済に同じ形が見られます。倭国では海外の最先端の伽藍配置を取り入れようとしていたのです。こうした伽藍の配置のちがいにも意味が込められていたのです。

 

 

 

飛鳥寺を造営していた時期に大王になった推古は豊浦宮や小墾田宮など、奈良県の明日香村付近に大王の宮殿をおきました。

 

 

6世紀の大王の宮は、まだくわしいことがわかっていませんが、奈良県の桜井市などにあったようです。ところが推古大王からのちは飛鳥を中心に王宮がいとなまれることになります。そのため、推古大王以降の時代を飛鳥時代と呼んでいます。

 

 

603年につくられた小墾田宮は、飛鳥寺の北西500mほどのところにあったとされています。記録から、政治や儀式をおこなう宮殿のおおよその構造がわかります。

 

 

まず南の門を入ると朝廷と呼ばれる広場があり、その左右に庁と呼ばれる南北に長い建物がむかいあっています。朝廷の北には大きな門があって、そのさらに北の奥に大王のための大きな建物があったようです。こうした建物の配置は、のちの宮にも受け継がれていきます。

 

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