群集墳の登場

6世紀にあたる古墳時代の後期には、全国のあちこちで狭い範囲に密集して小型の古墳が築かれるようになります。これを群集墳といいます。

 

 

群集墳だけでなく、岩山の岸壁に横方向の穴をあけて墓にする横穴墓も作られます。埼玉県吉見町の吉見百穴は、岩山にハチの巣のように200を超す穴があけられていて非常に衝撃的です。

 

 

群集墳の実際の例を見ていきます。香川県直島町の喜兵衛島は東西450m、南北200mほどの小島で、農業を営むほどの平地もありません。ところがこの島には、少なくとも10数基の古墳が群集して築かれていました。この島の人々はどのような生活をして、古墳まで築くことができたのでしょうか。

 

 

 

この島の浜辺には大量の土器が散らばっています。その土器を研究したところ、それは塩を作るために海水を煮詰める道具でした。

 

 

この塩を作るための土器は島の古墳の多くにも納められていました。島の古墳は塩づくりをしていた人たちが築いたのでしょう。

 

 

同じように岡山県内の鉄の生産地では、鉄にかかわる道具を納めた古墳もあります。様々な産業にたずさわるなかで、新たに群集墳を築くことができた人々がいたのです。

 

 

 

塩や鉄器の生産が増えた吉備には6世紀の中ごろにミヤケが置かれたとされています。地域の豪族に支配されていた人々のなかに、ミヤケとのかかわりなどによって力を蓄える人物がでてきたのです。

 

 

ただし群集墳は限られた範囲内にあつまっていることが多いので自由に古墳を作ることができたわけではなさそうです。この時期の社会の新しい動きとして、部民という集団がうまれています。

 

 

部民の有力豪族が、ミヤケで塩や鉄をつくるなど、王権のためにいろいろな仕事をするのと引き換えに群集墳を築くことが許されたのかもしれません。

 

 

 

このように6世紀の終わりごろ、古墳文化に大きな変化が起こるのです。前方後円墳が作られなくなるのです。

 

 

奈良県橿原市の五条野丸山古墳は墳長が約320mで、後期の大型前方後円墳の一つです。この古墳に葬られたのは571年に亡くなった欽明大王でしょう。安定した体制を築いた欽明にふさわしい大古墳です。

 

 

ところが欽明大王につづく敏達大王は591年に母である石姫の墓に葬られます。その墓は大阪府太子町の太子西山古墳と考えられています。墳長が五条野丸山古墳の3分の1以下になっています。

 

 

その後、大王の墓として前方後円墳は作られなくなります。各地でも、この6世紀末から7世紀初めごろには前方後円墳は作られなくなっていきます。

 

関連ページ

邪馬台国の時代
倭王卑弥呼の登場
卑弥呼と関わる魏の戦略 宝物や倭王としての権威を高める働きかけ
魏志倭人伝における倭人の世界
畿内を代表する纏向遺跡
卑弥呼の時代の九州北部の中心的な遺跡
卑弥呼の時代の大型前方後円墳の登場
古墳時代初期の前方後円墳
弥生時代の各地に広がる古墳づくり
「魏志」倭人伝で伝わる、弥生時代の緊迫する東アジア情勢 
4世紀初めに途絶えた中国とのやりとり
広開土王の碑文とは
巨大古墳と渡来時代
弥生時代に渡来する人・モノ・文化 
渡来系氏族の登場
稲荷山古墳と江田船山古墳からわかる大王と豪族
百済は475年に高句麗に攻められて力が衰えた付近の古墳文化の変容と広がり
継体天皇と百済
磐井の乱と伽耶滅亡
大阪府高槻市の今城塚古墳 6世紀頃の新しい古墳の姿
弥生-古墳-飛鳥時代に向けての世襲される王の権力
6世紀中ごろ以降の地方の生産工房
仏教伝来
飛鳥寺への道
飛鳥文化のはじまり
厩戸王子と蘇我馬子
遣隋使と冠位十二階
隋の煬帝と留学生
唐と新羅
吉備池廃寺と蘇我氏の横暴
乙巳の変と大化の改新
難波宮と孝徳大王
百済滅亡と亡命百済人
朝鮮への備えと古代人の姓
壬申の乱と東国
倭国の歴史と日本書紀
天武天皇と官僚体制
天武天皇の時期の国土の整備・国・道・都
天武天皇から持統天皇へ
日本国と国の組織づくり
地方組織をととのえる-7世紀、国司、郡司、里長、口分田
飛鳥時代の人々が納めた税
飛鳥時代の公文書と木簡
平城京の建設と和同開珎の発行
飛鳥時代に流入する東アジアの制度と文化
遣唐使と遣新羅使
遣唐使と外交
国際色ゆたかな天平文化
蝦夷と隼人
平城京の姿
出雲臣安麻呂の昇進 
他田日奉部神護の就職願い
正倉院に伝わる古文書-写経所
平城京の左京と右京の賑わい
「日本霊異記」 遠距離交易をする人々
郡司の権威と郡家
郡符木簡
「万葉集」にうたわれた生活のための様々な労働
風土記からみる土地の神へのおそれ
墾田永年私財法
天平の幕開け
戦乱と聖武天皇
国分寺建立と大仏造立
行基と国家仏教-平城京に都が置かれていたころ
藤原仲麻呂の台頭
東北政策と新羅侵攻計画
藤原仲麻呂の失脚と道鏡の登場
天武天皇系から天智天皇系へ
長岡京廃止の謎
地方豪族による支配が新しい勢力にとって変わられ始めた
桓武天皇の蝦夷政策
平安京遷都と桓武天皇
桓武天皇の息子たち
承和の変と最澄