大阪府高槻市の今城塚古墳 6世紀頃の新しい古墳の姿

6世紀ごろになると、古墳文化に変化がおこります。そのため、この時期を古墳時代後期とよんでいます。

 

 

この後期の古墳を代表するのが、大阪府高槻市の今城塚古墳です。墳長が約190mで、古墳時代中期の巨大古墳よりは小さいものの、6世紀前半としては全国で最大の古墳です。

 

 

この古墳は531年ごろに亡くなった継体大王をほうむった墓とみて、ほぼ間違いありません。それまでの大王の墓は大和や河内に限られていたのに対して今城塚古墳は大阪府北部にあります。これは継体大王がこれまでの大王の子や孫ではなく滋賀県や福井県で生まれ育った新たな血統の大王だからでしょう。

 

 

 

今城塚古墳の発掘調査では、次々に大きな成果があがっています。この古墳のまわりをめぐる二重の濠のあいだには堤があります。

 

そこからは人物や動物、家などをかたどった埴輪が大量に見つかりました。それらの埴輪は全部で130個以上あり、人物埴輪の出土数としては日本最多です。

 

 

これらの人物埴輪は、今城塚では完全な形で残っているものは多くないのですが、そのころのファッションをよく示しています。男性の埴輪はカブトやヨロイを身に着けた武人のほかにも冠や帽子のようなものを頭にのせるものもいれば、おさげ髪のように両耳のあたりで髪をたばねる美豆良という髪型をしているものもいます。顔に刺青をしているものをいました。

 

 

 

女性は長い髪を前後に折り返して頭の上でたばねる髪型が普通です。神に仕える女性は上半身に布をまとい、帯をたすき掛けにして胸元でしばっています。下半身には奈良県明日香村の高松塚古墳壁画などにもあるように長いスカート状の裳という服を着ています。

 

 

家の形をした埴輪で最大のものは、高さ170mにもなり、全国一の大きさです。家形埴輪は、屋根に千木や鰹木という装飾がある高床の建物で、その構造はのちの神社の建築に受けつがれています。大王の宮殿にふさわしい建物です。

 

 

今城塚古墳のこれらの埴輪は、大王の宮殿でおこなわれた儀式または葬儀の様子をのちのちまでとどめるために作られたものなのでしょう。

 

 

 

これらの埴輪は、柵や門の形をした埴輪で囲まれています。大王の宮殿を何重にも柵が取り囲む様子を再現しているのです。門の外側には宮殿を敵から守るための盾が置かれ、タカをあやつる人物や武人などが宮殿を警備しています。邪悪なものを追い払うために、ふんどしをつけた力士が立ちはだかり、馬は列を組んで並んでいます。

 

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