継体天皇と百済

5世紀が終わろうとするころ、武王が亡くなります。

 

 

すると彼が推し進めてきた強引な改革に対する不満が一気に噴き出し、大王の位をめぐる対立が激しくなるなど、倭の国内は混乱しました。こうしたなか、6世紀の初めに大王として迎えられたのが大和盆地の外に勢力を持つ継体でした。

 

 

継体はもともと北陸の南部から琵琶湖周辺の地域を拠点に東海地方の豪族も味方につけていました。そのため、継体の力は近畿と北陸や東国をつなぐ道沿いの地域に広がっていました。また、瀬戸内海交通の重要血である大阪湾岸地域の豪族とも交流を深めていました。

 

 

 

このような関係を持つことで勢力を強めた継体は大王になる前から倭国の政治や外交にかかわっていました。そのことは和歌山県橋本市の隅田八幡神社に伝わる人物画像鏡の銘文からわかります。

 

 

この銘文には百済の武寧王が即位するとすぐに大和の大王のもとで活躍する継体に鏡を贈り、関係を強めようとしたことが記されています。武寧王は継体を次の大王に一番近い存在と見ていたのでしょう。

 

 

 

百済は475年に高句麗に攻められて、いったん力が弱まっていました。しかしその後、倭国だけでなく高句麗からの自立を目指す新羅も味方につけて、この武寧王の時代にようやく国力を回復させてきました。

 

 

そしてその勢いで朝鮮半島南部の伽耶を侵略しようとしました。このため伽耶地域と関係が深い倭国との同盟を強化して、百済が進出することを倭王にも認めてもらおうとしたのです。予想通りに継体が大王になると武寧王は513年に倭国へ五経博士の段楊爾を送ります。

 

 

 

五経博士というのは、もともと政治や社会の秩序、道徳などを説く儒教に関する5つの基本経典を教える学者たちのことです。

 

 

中国では政治の相談役として支配者に様々な助言をおこなってきました。こうした制度を中国南朝の梁から取り入れた百済はさっそく倭王に五経をはじめ、色々な分野の博士たちを送りました。その影響で継体大王の政治はまずます百済寄りになっていきました。

 

しかし百済の強引な伽耶進出は伽耶の国々の間に反発を生みます。伽耶北部の大伽耶は新羅と同盟を結び百済に対抗します。伽耶では5世紀中ごろ、金官国や安羅国にかわって北部の大伽耶の力が強くなっていました。

 

 

しかしこのとき新羅も伽耶地域に進出しようとしていたのです。こうして百済と新羅がともに伽耶を狙い、これに倭も関わろうとするという複雑な情勢になっていたのです。

 

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