百済は475年に高句麗に攻められて力が衰えた付近の古墳文化の変容と広がり

倭王が頼りにしていた百済は475年に高句麗に攻められて力が衰えます。倭王の権威をささえた南朝の宋も479年に斉に滅ぼされます。そのうえ、南朝に使者を送るときに通る海上の航路が高句麗と高句麗を支持する北魏におさえられて中国と交流を続けることが難しくなりました。

 

 

そこで武の王権は対立する豪族たちを力によっておさえ、中国王朝に頼らない天下を作り出すことで大王が頂点にたつ組織づくりを急いだのです。「日本書紀」が雄略王を残忍な王として伝えるのは武王のこの強引なやり方が原因でしょう。

 

 

 

5世紀の古墳時代中期になると日本列島の各地で大きな古墳が作られるようになりました。しかし武王が倭国を支配する5世紀前半には河内の一部の地域を除いて、それまで盛んに作られていた大型古墳が減ってきます。

 

 

 

たとえば岡山県では5世紀前半には墳長360mという近畿地方以外では最大の造山などの巨大な古墳をつくっていました。しかし5世紀の後半には大古墳はなくなります。

 

 

歴史書には雄略王の時代に岡山県の吉備氏という豪族が反乱を起こしたとあります。それが原因で大きな古墳が作れなかったようです。

 

 

そのいっぽうで大きな古墳がなかった地域のなかには銘文の刻まれた鉄剣が出土した埼玉県の稲荷山古墳のように、中央と関係を結んで新たに古墳を作るところもでてきます。

 

 

 

また、古墳時代中期には前方後円墳が日本列島の広い範囲でみられるようになります。岩手県奥州市の角塚古墳は日本列島で一番北にある5世紀末ごろの前方後円墳です。

 

 

まわりに濠があり、墳丘には葺石を積み、人物や動物の埴輪などもあります。まさに古墳といえるものが出現しているのです。

 

 

この角塚古墳の近くにある中半入遺跡とよばれる集落の跡では東日本ではそれほど使われていなかった須恵器が出土しています。

 

 

ところがその遺跡からは黒曜石で作られた石器も見つかっています。その石器は食料となる獣の皮を剥いだりするのに使われました。

 

 

中半入遺跡を除くと角塚古墳周辺では須恵器の出土も水田の跡もなく人々は石器を使って狩猟や漁労、採集などをして暮らしていたようです。そのような生活を続縄文文化といいます。

 

 

続縄文文化は東北北部から北海道まで広がっています。中半入遺跡のあたりでは古墳文化と続縄文文化が入り混じっていました。まだ日本各地には稲作や古墳などを完全に受け入れず、独自の文化を続けている地域があったのです。

 

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