広開土王の碑文とは

北朝鮮との国境に近い中国吉林省集安の地には広開土王碑とよばれる高さ6mあまりの巨大な石碑があります。この碑は高句麗の長寿王が父の広開土王の功績をたたえるため、414年に高句麗の王都の東に建てたものです。

 

 

その碑に刻まれた文章の中に4世紀末から5世紀初めの朝鮮半島で、広開土王が倭・百済・安羅・任那伽耶の軍を破り、新羅を救ったという記述があります。任那伽耶とは金官国のことです。

 

 

碑文のなかの倭は、百済や新羅を従える強大な勢力とされています。これは倭軍を実際よりも強敵に書くことで高句麗が南へ進出することを正当化し、敵を打ち破った広開土王をより強く立派に見せようとしたと考えられます。

 

 

 

しかし倭軍が百済や伽耶南部の国と一緒に高句麗と新羅と戦っていたという内容はこのころの国際関係を正しく記録したものです。

 

 

広開土王碑文によると、倭軍は高句麗軍に対して敗北を重ねていました。それでも倭は百済に味方して高句麗と対決する姿勢を取り続けます。そしてその外交方針を今度は中国との交流によって強化しようとするのです。

 

 

このころ、中国では華北の争乱がおさまろうとしていました。中国の南では420年に晋が宋に滅ぼされ、北では4世紀後半に新たに建国された北魏が勢力を広げて南朝と北朝に二つの王朝が激しく対立するようになっていったのです。

 

 

高句麗はこれを見て宋と北魏の両方から冊封を受けます。そして王都を現在の中国の集安から北朝鮮の平壌にうつして朝鮮半島南部への進出をすすめます。

 

 

 

いっぽう中国の正史「宋書」によれば、倭も421年に倭王讃が宋へ使者を送ったのをはじめとして、珍・済・興・武の5人の王が続けて宋へ使者を送り冊封を受けます

 

 

倭の五王とよばれるこの5人の王が中国南朝へ近づいた背景には百済の働きかけもあったようです。

 

 

百済はもともと中国南方の勢力と関係が深く、宋が晋にとって代わるとすぐに宋から冊封を受けています。倭王が宋に近づいたのは百済の外交方針に歩調を合わせたものだったのでしょう。

 

 

 

この中国王朝との交流で東アジア各国の王たちが特にこだわったのは皇帝からどのような称号がもらえるか、という点でした。

 

 

このころ、皇帝が彼らに与える称号には「倭王」や「百済王」といった各国の王号だけでなく、東アジア各地の軍事支配権を認める称号も含まれます。

 

 

たとえば478年に宋から「倭王」に冊封された武は「使持節、都督倭、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓六国諸軍事」という称号をもらっています。

 

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