卑弥呼の時代の大型前方後円墳の登場

ホケノ山と同じような形の墓は関東地方から九州北部にまで広がっていますが、特にこの纏向遺跡の周辺に集中しています。

 

 

しかもその大きさは纏向遺跡の墓が墳長80mから100m前後なのに対して、そのほかの地域では半分以下です。この地域が数でも大きさでも他の地域を圧倒していたのです。

 

 

ホケノ山の後円部の中央には掘り下げた穴のなかに死者をおさめる棺が置いてあります。棺をいれる空間には真っ赤な朱が塗りこめられていました。このような作り方はそれまでの近畿地方ではなかった特殊なものです。

 

 

ホケノ山の棺の中からは画文帯神獣鏡という中国製の銅鏡が出土しました。神獣鏡は老いたり死んだりしない神仙とよばれる世界を信じる中国の思想に基づくもので、鏡の裏側にその神仙世界の神や獣が描かれています。棺などに塗られた朱も、神仙世界では不老不死をもたらす重要な薬と考えられています。

 

 

 

日本列島から出土する中国製の鏡についてつくられた年代ごとに見つかった場所を調べてみると1世紀ごろまでの鏡は九州北部でたくさん見つかっています。

 

 

ところが、2世紀前半ごろの鏡は日本列島全体で出土が少なく、画文帯神獣鏡など2世紀後半から3世紀初めごろの鏡はおもに近畿地方で見つかるようになります。卑弥呼が王になるころには中国の品物を受け入れる中心地が近畿地方になるのです。

 

 

3世紀ごろの近畿地方では集団の祭りの道具である銅鐸がすでに使われなくなっていました。そのいっぽうで個人の権威を高めるために、鏡を重視するようになったのです。このころの畿内では政治や宗教によって人々を導く王や王をささえる集団が急速に成長したことがわかります。

 

 

箸墓古墳

 

ホケノ山墳丘墓より少し新しく、3世紀中ごろ、または後半ごろにつくられた前方後円墳が、奈良県桜井市の箸墓古墳です。

 

 

箸墓古墳はホケノ山の西約200mというすぐ近くにあります。墳長は約280mと楯築墳丘墓やホケノ山の約3.5倍です。体積で比べればおよそ100倍になります。一つの墓を作り上げるのに必要な人の数もはるかに多くなります。

 

 

箸墓古墳の墳丘には、平たい石が散らばっていたといいます。その石は後円部に竪穴式石槨を作るために用いたのでしょう。竪穴式石槨とは、板状の石を積み重ねて四角い空間を作り、死者を葬った棺をおいたあとで、その上を大きな石でおおう埋葬の施設です。竪穴式石室ともいいます。

 

一度埋めると二度と開けられないのが特徴で、箸墓古墳以後の大きな古墳の多くはこの形をとっています。

 

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