畿内を代表する纏向遺跡

邪馬台国の卑弥呼は彼女のもとにあつまる約30もの国々の支配者たちをまとめあげることで連合の王として権力をふるいました。このように王によって代表される政治権力を「王権」といいます

 

 

卑弥呼の王権が連合の支配者たちをまとめるために利用したのが、中国が認めた倭人全体の支配者を意味する倭王という称号と、鬼道といわれる宗教的な行事の共有でした。

 

 

おそらくこの宗教的行事が邪馬台国の時代に前方後円墳という新しい墓が登場することにも関わっているのでしょう。こうして倭人と倭国の歴史は、ひとつの政治的まとまりとして動き始めるのです。

 

 

 

邪馬台国がどこにあったのかは長い間議論が続いています。もっとも有力なのは九州説と畿内説です。

 

 

畿内というのは現在の奈良、大阪、京都などの地域を指します。畿内説では邪馬台国は大和(現在の奈良県)にあったとみるのが一般的です。この問題は日本列島における国の成り立ち、つまり日本の出発点を考える上でも重要な鍵となります。

 

 

卑弥呼がいた3世紀前半ごろの遺跡として目をひくのは奈良県桜井市の纏向遺跡です。この遺跡では2本の大きな水路が発見されています。これまで発掘されたのは250mほどですが、全体では2600mにもなるといわれています。2009年の発掘では巨大な建物の跡も見つかりました。

 

 

そのほかにこの遺跡を特徴づけるのは外来系土器が、他にはないほど大量に出土していることです。外来系土器というのは纏向遺跡でいえば大和とは別の地域から持ち込まれた土器、または大和以来地域で作っていた人が大和に来てつくった土器のことです。

 

 

弥生時代に奈良盆地にあった大集落、唐古・鍵遺跡では外来系土器の割合は出土した土器全体の3%から5%ほどですが、纏向遺跡ではその割合が15%から30%にもなります。また、数が多いだけではなく、それらの土器が非常に広い地域とつながりをもっていることも特徴的です。

 

 

 

 

纏向遺跡のもう一つの特徴は、宗教にかかわるものが多いことです。纏向遺跡では、このころの一般的な建物である竪穴住居がほとんど見つからない代わりに地面に穴を掘って柱を埋めて建てた掘立柱建物ばかりありました。そのなかには高床の神殿のような建物が柵に囲まれている区域もあります。湧水がでる場所で祭りを行った跡や、水を導いてきて神を祀る施設もあります。宗教的な意味があったとされる不思議な文様が刻まれた木の板や石なども出土しています。

 

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