民主主義への道のり

戦後の日本政府は1945年10月に東久邇宮稔彦内閣から幣原喜重郎内閣に代わります。日本を占領するにあたって、マッカーサーは幣原内閣に五大改革を指示しました。

 

 

一つ目は、ずっと低い地位に置かれていた女性を解放すること。
二つ目は、これまで盛んでなかった労働組合の結成を積極的に認めること。
三つ目は学校教育を民主化すること。
四つ目はこれまで人々の自由な考え方や行動を取り締まっていた治安維持法や特別高等警察をなくすことです。
そして五つ目は財閥が経済活動を独占する状態をあらためることです。これらのことは軍国主義をなくして日本に民主主義を定着させるために必要な課題だと考えられていたのです。

 

 

 

それまでの日本は、飛行機で敵艦などに体当たりをする特攻隊に代表される、なりふり構わない軍国主義の考えが強い国でした。アメリカは民主主義の方針を徹底させるために日本の軍隊や植民地をなくし、日本から重い賠償を取るだけでは足りないと考えていました。

 

 

 

アメリカが一番問題にしたのは、日本の経済や社会にあった権力や権威でした。戦争が終わるまでの日本では、権力や権威が一部の人や組織に集中していて、権力や権威に従うしかないという考え方でした。

 

 

そのため人々は自由に発言することができず、軍部が戦争へと突き進むのを止めることができなかったのです。軍国主義をなくすためには、このような日本社会のありかたを変え、自由に意見を言えるようにしなければならないというのはアメリカの考えだったのです。

 

 

 

この考えにもとづいて、占領改革が進められました。その中心は財閥解体と農地改革、労働改革、日本国憲法です。財閥の力が強すぎることによって、企業と企業のあいだの公正な競争が制限されるとともに労働者の地位が低く抑えられているとアメリカはみなしていました。そこで三井・三菱・住友・安田などの財閥に集中していた企業を分割する財閥解体が行われました。

 

 

 

財閥と同じように農村で多くの土地を所有して小作人に貸していた地主の存在も、小作人の地位を低め、彼らが権力や権威に従うしかないようにしていた原因だとアメリカは考えました。GHQの強い指示によって農地改革が実行され、地主の所有地の90%が小作人に解放されました。

 

 

さらに労働者の地位を向上させるために、労働に関する3つの法律がつくられました。労働者が団結する権利や交渉する権利を認めた労働組合法。そして労働基準法と労働関係調整法です。

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