アジア・太平洋戦争終戦後の新しい世界の幕開け

日本政府が現在、戦死者として追悼している人の数は約310万人ですが、2000万人を越えるアジアの犠牲者の数を踏まえて、アアジア・太平洋戦争、さらに大日本帝国の時代を振り返ることは重要です。全世界ではこの一連の戦争で約6000万人が命を落としたと推定されています。

 

 

敗戦のとき、600万人を超える日本人がアジア、太平洋の各地にいました。軍隊は武装解除され、民間人は大変な苦労のなかで日本に引き揚げることになりました。それと同時に大日本帝国の拡大とともに故郷を離れていた朝鮮人や中国人など日本人以外の人々も故国に帰っていきました。もっともこれまで暮らしてきた地域に留まり、新たな生活苦を乗り越えながら戦後の祖国や日本に向き合っていく人も多くいました。

 

 

大日本帝国の崩壊はアジア・太平洋一帯で戦後の新しい世界を作り出そうとする人々の動きを活発にしました。

 

 

8月17日にはインドネシア共和国が、9月2日にはベトナム民主共和国が樹立されます。6日にはソウルで朝鮮民主主義人民共和国の樹立が宣言されますが、沖縄から送られたアメリカ占領軍によって、その権限は否定されました。朝鮮は北緯38度線をさかいに南北に分けられ、南側はアメリカ、北側はソ連による統治がはじめられます。

 

 

 

インドネシアでもベトナムでも朝鮮でも、民族独立のための苦難の戦いがはじまります。中国では、ふたたび国民党と共産党とのあいだで激しい内戦がはじまりました。

 

 

日本にはアメリカを中心とした占領軍が来日します。日本は戦争が終わるころにアメリカやイギリスへの敵意を高めるためにさかんに「鬼畜米英」と言い立てました。アメリカ人やイギリス人は鬼のように怖い存在だとされていたので、敗戦後にはアメリカ人が来ると暴行されると噂されました。

 

 

 

実際にやってきた占領軍のアメリカ兵は子どもたちにキャンディやチューインガム、チョコレートなどを振舞ったのでたちまち子どもたちの人気の的になり、大人たちの恐怖心も薄らぎました。人々は街中を走り回るアメリカ軍のジープなどに驚かされます。そんな車を見たことがなかったのです。

 

 

 

戦時中の日本には木炭を燃料にした自動車も走っていました。それに対してガソリンのにおいをふりまきながら走る占領軍の車。力の差は誰の目にも明らかでした。人々は次第にアメリカの物質文明やモノの豊かさにあこがれるようになります。アメリカは徐々に憧れと親しみを感じさせる存在になっていったのです。

 

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