真珠湾攻撃

日本にくらべ圧倒的な国力をもつイギリス・アメリカとの戦争をさけようとアメリカとの外交交渉もすすめられていました。交渉では、日本はフランス領インドシナ以外には軍を進めないことを伝えますが、アメリカからはフランス領インドシナはもちろん、中国からも日本軍を引き上げるように求められます。

 

 

このような条件は認められないと陸軍大臣の東条英機が大反対し、交渉を進めていた近衛文麿内閣は総辞職します。かわって成立したのが東条英機内閣です。東条内閣はついに、イギリス・アメリカとの戦争を決意します。

 

 

 

1941年12月8日の夜明け前、日本軍はイギリス・アメリカに奇襲攻撃をかけます。陸軍はイギリスの植民地だったマレー半島のコタバルに上陸し、海軍はハワイの真珠湾を攻撃しました。

 

 

日本とアメリカのあいだでは、まだ外交交渉が続いていたので、国際法の上では日本はアメリカに交渉を打ち切ると伝え、要求を認めなければ戦争だと最期の通告をしたうえで宣戦布告をしなければいけません。

 

 

しかし、日本は開戦前にこうした手続きを終了していませんでした。「奇襲」と言われるのはこのためです。日本はこのように国際法に違反する形でイギリス・アメリカとの戦争に突入しました。新聞やラジオで、この攻撃が伝えられると国民は熱狂します。

 

 

 

アメリカは真珠湾攻撃に大きな衝撃を受け、日本を「だまし討ち」をしかける卑怯な侵略者だと非難しました。「リメンバー・パールハーバー」という言葉があります。真珠湾攻撃で受けた屈辱を忘れてはいけないという意味で、いまでもアメリカ社会で使われる言葉です。

 

 

いっぽうヒトラーは、日本の真珠湾攻撃の知らせに喜び、これをきっかけにドイツもアメリカに宣戦しました。イタリアもこれに続きます。ついに、ヨーロッパとアジアで別々に展開していた戦争がひとつになり、まさしく世界大戦になりました。

 

 

 

日本がイギリス・アメリカと開戦してからの戦争はこれまで「太平洋戦争」と呼ばれていましたが、最近の日本では、アジアでの戦争からの流れのなかでとらえるために「アジア・太平洋戦争」と呼ぶ人が増えています。

 

 

真珠湾攻撃をうけ、ただちにアメリカ・イギリスの首脳はワシントンで協議をおこない、中国やソ連などと共に「連合国共同宣言」を発表しました。この内容は「大西洋憲章」を引き継ぐもので、ここで宣言された総力をあげてファシズムと戦うという精神は、のちの国際連合創設の土台となります。

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