大政翼賛会

日独伊三国同盟で、この3ヵ国が今後、新たに攻撃された場合には互いに軍事援助しあうことが取り決められました。

 

 

 

いっぽう、日本政府は1941年4月に敵対していたソ連と日ソ中立条約を調印しました。その背景にはソ連の中国に対する支援をやめさせ、日中戦争を早く終わらせたいという判断と、日本・ドイツ・イタリアの同盟にソ連も参加させて、4か国による協調関係をつくるという構想がありました。

 

 

しかし、6月にドイツが不可侵条約を破ってソ連との戦争を始めると、こうした考えは非現実的なものになりました。ただちに日本政府はこの戦争の展開次第ではソ連と交戦しようと、ひそかに満州へ大規模な軍事動員をすすめます。

 

 

しかし、ドイツとソ連との開戦をきっかけにイギリスやアメリカはソ連軍に援助を始めます。ドイツ軍が苦戦する姿を見て、日本は「北進」ではなく、ふたたび「南進」へとすすんでいきました。

 

 

 

このような日本の動向に対してアメリカは日本への経済制裁を強め、くず鉄の輸出を禁止したり中国に資金援助を行ったりしていました。外交上、これ以上イギリス・アメリカとの関係を悪くできないという意見もありましたが、近衛内閣は日本軍をフランス領インドシナの北部からさらに南部にまで進ませます。

 

 

アメリカは、ついに日本への石油輸出の全面禁止にまで踏み込みました。石油の70%以上をアメリカから輸入していた日本は、大きな打撃を受けました。こうしたアメリカの動きにイギリスや中国、オランダも加わり、日本に対する経済封鎖はさらに強まります。これはそれぞれの国名の頭文字をとって「ABCD包囲陣」と呼ばれました。

 

 

 

また、この1941年8月にはアメリカとイギリスの首脳会談が大西洋上で開かれ、「大西洋憲章」が発表されます。アメリカはまだ参戦していませんでしたが、ドイツとの戦争だけでなく、日本の「南進」をけん制する狙いもありました。

 

 

日本では、近衛内閣のもとで新体制運動が推し進められ、10月には「大政翼賛会」が生まれました。それまでにあった政党は次々に解散し、大政翼賛会に吸収されていきます。

 

 

大政翼賛会の総裁には総理大臣が、支部長には道府県知事がなりました。大政翼賛会の末端には町内会や、隣近所の家をひとつにまとめた「隣組」という組織がおかれました。国民はだれでもみな、この組織に組み込まれることになったのです。

 

 

このように日本では産業や経済、国民生活も含め、すべてを戦争へ動員する総動員体制が一層強められたのです。

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