大正時代の戦争への動員体制

国家総動員法に基づいて、翌年には国民をいつでも労働力として集められる国民徴用令や、政府がモノの価格を決められる価格統制令などが次々に定められます。

 

 

 

国が国民を軍隊にあつめる命令書を召集令状といいます。日本では「赤紙」とよばれた臨時召集令状1枚で軍隊にかり出される男性が目に見えて増えていきました。そのために減った軍需産業での労働力は国民徴用令に基づいた、人々への強制的な動員で補われました。勤労動員の対象は、次第に学生や未婚女性にも広がっていきます。結婚している女性は婦人会に加盟するように求められ、出征兵士の見送りなどにも動員されました。

 

 

 

また、軍需物資の生産が優先されたためにモノ不足が深刻になり、お金があっても生活必需品を買うことができなくなりました。米、砂糖、マッチなどは配給された分量だけしか手に入れることができず、衣料も配られた切符の分しか買えなくなりました。自由な服装は次第に批判の目で見られるようになり、男性は政府が定めたカーキ色の「国民服」が、女性にはもんぺ姿が広まっていきます。

 

 

さらに、各家庭にある、金属製品は、国家に提出しなければならなくなります。釜や仏具、寺の鐘まで回収されました。資源を輸入に頼る日本では兵器のための金属が不足したのです。ポスターなどを貼って倹約をもとめたり、国民のもっている金属製品を国に「供出」させることで金属を確保したのです。子どものおもちゃも木製や竹製になっていきました。

 

 

 

ところで、日中戦争がはじまってから、生活のなかに、ラジオ放送がそれまで以上にいきわたるようになります。戦地に出向いた家族や友人の安否を心配する人々によって、ラジオで伝えられる戦局の変化は重要な情報源となったのです。

 

 

 

ラジオはニュースだけでなく、スポーツ中継や音楽、ドラマも伝え、人々の生活文化に影響をあたえます。ラジオをとおして戦時下の心得が伝えられたり、「勝ってくるぞと勇ましく」の歌詞ではじまる「露営の歌」や「海ゆかば」など、戦争をテーマにした歌謡や軍歌も広がっていきました。

 

 

 

ラジオは戦争への協力や思想を統制する手段としても役立つと考えられ、モノ不足のすすむなか、一家に一台を目標に受信機の普及がすすめられました。これにより時間は画一化され、都市部と農村の情報格差も縮まってきました。

 

 

戦争への協力がもとめられたのは、日本本土だけではありませんでした。日本の植民地や占領地でも動員体制が強められます。

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