大正時代の「抗日」が持つ意味

抗日民族統一戦線を組織し、一致団結してたたかう中国軍に日本軍は苦戦しながら、さらに南下をすすめます。戦地にいた日本兵も死と隣り合わせのギリギリの状態で戦っており、死傷した人のほか、精神を病んだ人も多くいました。

 

 

 

そして中国で日本軍と戦っていたのは中国人だけではありません。特に朝鮮の独立を目指して戦っていた朝鮮人のなかには、日本打倒を共通目標に中国軍と連携していた人が数多くいました。国民党とともに戦っていた人もいれば、共産党とともに戦っていた人もいます。

 

 

 

満州でつくられた「抗日連軍」でも、朝鮮人は活躍していました。なかでも金日成の部隊の戦いはめざましく、日本軍も彼を追うための特別部隊を編成したほどです。のちに金日成が北朝鮮の首相になるのも、このときの抗日の経歴があったからです。韓国の初代大統領になった李承晩は、大韓民国臨時政府の初代国務総理をへて、そのころアメリカで活動していました。

 

 

 

もっとも中国人でも朝鮮人でも抗日戦のなかで名前さえ残さずに生命をうしなった人がたくさんいます。どこでだれがどうしていたのかをたどることができませんでした。

 

 

 

このように中国との戦争が長引くなか、日本では戦争に国力のすべてをつぎ込むための体制作りが急ピッチで進んでいました。まず、人々の戦争への参加意識を高める動きが始まります。国民精神総動員運動です。「ぜいたくは敵だ」「パーマネントはやめよう」などを合言葉に、節約や貯蓄の奨励などが行われました。

 

 

多くの小学校では月に一度、おかずが梅干し一つだけの「日の丸弁当」を食べ、みんなで皇居に向かって深いおじぎをしたり、神社に参拝にいったりするようになりました。この日は大人は禁酒・禁煙で勤労奉仕することが定められました。

 

 

 

政府は経済面でも統制を強めます。軍需品の生産が優先され、生活用品の消費はおさえられていきました。恐慌以後、三菱・三井・住友などの大財閥が経済を独占する傾向が強まっていましたが、軍需にささえられ、日産・日室などの新しい財閥も満州や朝鮮を拠点に重化学工業を推し進めます。また、莫大な臨時軍事費を国家予算に特別に組み込んだため、国家予算にしめる軍事費の割合はますます膨らんでいきます。

 

 

 

1938年に近衛内閣は、国会の反対を押し切って国家総動員法を成立させました。この法律によって政府は議会の承認がなくても、天皇の命令によって、労働力や物資を全面的に戦争に動員したり、言論を押さえつけたりできるようになりました。

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