広がるファシズム運動

日本が日中戦争のときに中国に対して宣戦布告しなかった理由は、宣戦布告をしてしまうと戦争をおこなっている国への軍需物資などの輸出を禁止したアメリカの法律によって、アメリカからの輸入がとまってしまうおそれがあったためです。

 

 

いっぽう、中国の訴えで開かれた国際連盟の総会は、日本の行動を、紛争は平和的手段で解決するとさだめた不戦条約に違反しているとみなしました。日本は国際的に孤立し、欧米が中国に対してもつ権益をめぐっても対立を深めていきます。

 

 

しかし、近衛内閣は戦争に深くのめりこみ、国民政府から華北を引き離すだけでなく、国民政府の打倒を戦争の目的に変えていきます。中国では、日本の行動を非難して、ソ連やイギリス、アメリカとの連携を強めていきます。

 

 

 

国際連盟では、日本軍による中国への爆撃に対する非難決議も可決されました。日本は1937年8月から上海をはじめ、杭州、南京などの都市への爆撃を長崎県や台湾、朝鮮の済洲島などにある基地から出撃する爆撃機によってはじめていたのです。南京にいた欧米の外交官らは宣戦布告もしていないのに外国の首都を空襲して、施設を無差別に破壊し、多くの民間人を死傷させていると日本政府に抗議しました。

 

 

 

空爆は空からの無差別テロといっても過言ではありません。科学技術の進歩によって本格的な空襲がはじまったのは、第一次世界大戦からです。その後、航空機はさらに進歩し、1930年代以降、空からの無差別攻撃が続いていました。

 

 

 

イタリア軍はエチオピアとの戦争で、無差別爆撃を各地で繰り返すとともに、航空機で大量の毒ガスをまきました。人間も動物も数多く死にました。毒ガスで汚染された水や食べ物を口にしたことで苦しみながら死んだ人もいました。エチオピアではイタリアに併合されたあとも、抵抗運動が続きますが、これらをおさえこむにも毒ガスが使用されました。

 

 

 

スペインの内戦では、とくにイタリア軍とドイツ軍によるゲルニカ爆撃がよく知られています。この爆撃では町を焼き尽くすための爆弾である焼夷弾がはじめて大量に使われました。バスク地方の都市ゲルニカでは、その日は市のたつ日で大勢の人が集まっていました。

 

 

綿密にたてられた爆撃計画によって町は焼き尽くされました。この残酷な破壊に対する怒りを画家のピカソは「ゲルニカ」という作品に描きました。これはスペインの町ゲルニカへの無差別爆撃を横7.8m、縦3.5mという規模で書いた大作です。

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