大正時代、国際連盟からの脱退

日本が中国東北地方に「満州国」を建国させたことは日本を国際社会から孤立させることになりました。国際連盟では中国の抗議を受け止めた諸国の働きかけでイギリス人のリットンを団長とする調査団が結成されます。リットンらがまとめた報告では、日本の軍事行動は正当防衛とは言えないし「満州国」が自発的に生まれたものではないとされました。しかし、日本の満州での特殊権益は認めるなど、決して日本に不利益なだけの内容ではありませんでした。

 

 

 

しかし国際連盟では日本が満州から軍隊をひきあげるようにもとめる決議がおこなわれ、これに抗議した日本は、国際連盟を脱退します。常任理事国の地位を捨ててまで日本は「満州国」の権益にこだわったのです。

 

 

 

そのころ「満蒙は日本の生命線」ということばがありました。満州と内蒙古は日本が生き延びるために絶対に必要な地域だという意味です。日本は海外へと領土を広げることによって、恐慌を突破しようとしたのです。

 

 

 

このように五・一五事件後の日本では政党の力が弱まるとともに次第に軍部が政治に大きな影響力を持つようになりました。首相にはしばらく海軍出身者が続きます。内閣はこれまでの政党政治とは異なって、ひとつの政党を中心に成立するのではなく、対立しあう政党から閣僚を出し合うようになりました。軍人や官僚出身の閣僚も増え、その発言力が強まります。

 

 

 

また、陸軍では国家のありかたをめぐって意見の対立が激しくなり議会政治を否定する声も高まります。1936年2月26日の夜明け前、雪の降り積もる中、陸軍の青年将校の一部が天皇自身が政治を行う体制を作り出そうとクーデターを起こしました。彼らは兵士約1400人を率いて首相官邸や国会議事堂の周辺を占拠します。首相はなんとか無事でしたが、前首相で内大臣だった斎藤実、同じく元首相で大蔵大臣だった高橋是清らが殺されました。陸軍は一時混乱しますが、結局この青年将校たちは反乱部隊と見なされて4日間でクーデターはしずめられました。この事件を二・二六事件といいます。

 

 

 

しかし二・二六事件ののち陸軍の政治に対する力はむしろ強まりました。天皇の強い意向によって、このような軍の急進派を排除したことで、逆に軍の組織としてのまとまりが強くなったためです。陸軍大臣・海軍大臣には現役の軍人だけがなれるという制度、現役武官制も復活しました。陸海軍の政治に対する発言力がいっそう強くなりました。そして軍事費も増え続けていきます。

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