昭和恐慌と軍縮会議

震災手形をお金に換えることができなくなって、手形を多く持っていた中小の銀行が次々に休業や倒産するなど金融界の混乱が続きました。これを金融恐慌と呼びます。

 

 

こうした状況をさらに深刻にさせたのが世界恐慌です。その影響は「昭和恐慌」といわれる事態を引き起こし、日本の人々の生活を大きく変えていきます。

 

 

 

日本は外貨の獲得のため、アメリカへ生糸を大量に輸出していました。その生糸の値段が世界恐慌の影響で暴落します。このことは、日本の株式市場の暴落や企業の生産縮小や倒産へとつながり、都市には失業者があふれました。また、農産物の値段も下がり、農家の収入が大きく減りました。

 

 

農村では弁当を学校に持っていけない子供や身売りしなければならない女性が増えて社会問題になっていきます。昭和の時代は、この状況をなんとかしなければならないと労働運動や農民運動が急増する中ではじまりました。

 

 

 

経済不況をたてなおそうとする動きにはこうした労働者や農民の働きかけをふくめ、いくつかの道がありました。そのひとつは経済の活力を維持するためにも、いきすぎた軍事支出をおさえなければならないという考えでした。第一次世界大戦直後から世界では国際協調を目指して軍備の縮小をめざす交渉がすすんでいました。

 

 

アメリカの主導により1921年から22年にかけてワシントンで開かれた一連の会議では欧米諸国と日本とのあいだで太平洋と中国における利害の調整がおこなわれたほかに海軍の軍縮が決められていました。

 

 

 

ワシントンでの会議に駐米大使としてかかわった幣原喜重郎は、その後もイギリス、アメリカとの対立をさけて協調していく外交をおこないながら中国での日本の権益を守ろうとしていました。彼は護憲三派内閣である加藤高明内閣のもとで外務大臣になりますが、幣原の外交は弱気だと政友会や軍部から批判されます。

 

 

中国では「五・四運動」以後、ナショナリズムが高まるなかで1925年「在華紡」で大きなストライキがおこります。日本政府は満州一帯を支配していた奉天軍閥の張作霖に支援を求め、それを鎮圧しようとしました。

 

 

 

しかし政友会や軍部はさらに「満蒙」の権益を中国から分離して日本が独占的に確保する必要があると考えます。そのころ中国では蒋介石が率いる国民党が中国統一を目指し、外国にうばわれた権益を取り戻そうと軍閥との戦争をはじめていました。日本は張作霖に鉄道敷設権をわたすように要求し、奉天総領事だった吉田茂がこの交渉にあたりました。

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