世界恐慌とナチス登場

18世紀後半にイギリスで産業革命がはじまってから、好況・不況の小さな波はあったものの人々は経済の成長は続くものだと信じていました。しかし、恐慌後の長引く不況と世界中に広がるその悪影響のなかで欧米列強や日本はそれまでの国内体制のありかたを大きく変えていくことになります。イギリスの歴史家ホブズボームは20世紀後半の世界は、この経済的な崩壊を理解しなければわからない、これがなければルーズベルトもヒトラーも登場しなかったかもしれないと語っています。

 

 

アメリカでは生活に困る人々が急激に増え、労働運動がさかんになっていきました。こうした状況の中で就任したフランクリン・ルーズベルト大統領がおしすすめた「ニューディール政策は資本主義のありかたを大きく修正することになりました。

 

 

 

それまでは政府が市場に介入するようなことはありませんでした。市場の自由ななりゆきに任せていたのです。その政府がテネシー川流域開発公社を設立するなど、率先して公共事業をおこして失業対策に乗り出したり、農業のふっこうのために農産物の値段を引き上げたりしました。また、労働者の権利を保護したり、社会保障政策を打ち出すようにもなりました。

 

 

これは労働者の連帯を訴え、社会主義建設をすすめていたソ連への対抗策とも考えられます。国際関係という点からみると資本主義経済と社会主義経済は対立してきただけではありません。たがいに影響しあって展開してきたともいえるのです。

 

 

 

ドイツでは1933年に国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)のヒトラーが首相に任命され、瞬く間にナチスによる独裁体制が築き上げられました。第一次世界大戦の敗戦国ドイツにベルサイユ講和条約で課された賠償金は、その当時のドイツの国家予算の約25倍もありました。すべて支払い終えるのに2010年までかかるかと試算されたほどです。

 

 

支払いが遅れるとフランスやベルギーは軍隊を送ってドイツ有数の工業地帯であるルール地方を占拠し、ドイツに圧力をかけてきます。このようにもともと国家の財政が破たんしていて、インフレに悩まされていたドイツに世界恐慌が及んだことで人々の生活はさらに追い詰められました。そこにヒトラーが登場したのです。

 

 

ヒトラーがうちだした政策は追い詰められたドイツ人の心を捕らえます。ヒトラーは自動車専用道路の「アウトバーン」建設などの公共事業を起こして、失業問題に取り組んでいきました。

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