大正時代の文化の広がりと世界恐慌

デパートが増え始めたころの子供は、ふだんは絣模様や縞模様の木綿の着物ですごすことが多く、洋服は外出や家族の祝日など特別な日の晴れ着でした。デパートの子供用品売り場では、あこがれのぜいたく品を価格をおさえた既製品として販売し始めました。都市部では大正時代後期になると洋服姿の子供が増えていきます。

 

 

こうして郊外の住宅から都市へと電車で通勤し、休日にはデパートでの買い物や映画を楽しむ、新しい生活様式をもった人々が生まれ、社会の中で次第に一つの階層を形作っていきました。彼らをとりまく文化には映画・野球・レコード・ラジオ・ジャズ音楽など、第一次世界大戦後の世界で大きな影響力を持つようになったアメリカでうまれたものが多いのが特徴です。

 

 

なかでも1925年に放送がはじまったラジオは全国で同時に同じ情報を受け取ることができるという、それまでにない情報の伝達手段でした。いっぽう農村でも青年層が都市文化にあこがれ、工場労働者として働きに出ます。農村での文化向上運動もすすめられ、生活や文化の改善が取り組まれました。

 

 

 

第一次世界大戦というそれまでにない大きな戦争を体験した人々は、二度とこのような戦争が起こらないようにと様々な国際的な取り組みを進めていきます。しかしこうした1920年代の試みを大きく揺るがすことになったのが、世界恐慌です。世界恐慌は1929年10月にアメリカのニューヨークの株式市場が続けて大暴落したことではじまりました。

 

 

のちに「暗黒の木曜日」と呼ばれる、このウォール街での混乱からはじまった恐慌によって、あいつぐ企業の生産縮小で労働者の賃金が下がり、銀行や工場は倒産します。また、農産物の値段もどんどん下がり、生活がなりたたなくなった農民たちは土地を手放します。こうして失業者が町にあふれ、このような混乱が世界中に広がっていきます。それは帝国主義のもとでの「世界の一体化」を世界中の人々が日常生活のなかで、強烈に実感するできごとでした。

 

 

第一次世界大戦後に世界最大の債権国になっていたアメリカの経済が破たんしたことは世界経済における資本の流れを断ち切りました。アメリカが敗戦国ドイツの復興を支えてこそドイツはイギリスやフランスに賠償金を支払うことができます。

 

 

そしてイギリスやフランスはその賠償金でアメリカに戦争のために借りた金を返すことができるのです。この関係が壊れてしまったために、各国の政治や社会に深刻な影響がおよびました。

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