大正時代の都市と郊外の発達

第一次世界大戦による重化学工業の発展と経済成長は大都市への人口集中をもたらしました。1893年には全人口の約16%だった都市の住民は1920年には6大都市とよばれた東京・大阪・京都・神戸・横浜・名古屋に集中し、日本列島の約3分の1が都市で生活するようになりました。

 

 

都市の人口が急激に増えると生活にかかわる様々な問題もおこります。住宅不足によって家賃も高くなりました。こうした状況にいちはやく対応したのが鉄道会社を経営する企業家たちでした。

 

 

この時期、都市周辺では鉄道会社によって私鉄の建設がすすみます。さらに鉄道会社は不動産業をおこして線路に沿って住宅地の開発をおこないました。これにより都市に住んでいた人々のなかには郊外へと移っていく人がでてきます。毎朝、郊外にある家から都市にある職場へと電車で通勤するという現在のような生活の形がうまれたのは、大正時代のことで、このような新しい中間層の出現も時代の大きな変化でした。

 

 

 

大阪の近郊では1910年に箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)と京阪電気鉄道が1914年には大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)が開業し、沿線の住宅開発がすすみました。東京ではおもに南西方面にむけて開発が進みます。

 

 

1920年代、田園都市株式会社によって洗足や多摩川台の開発がおこなわれ、田園都市株式会社の鉄道部門をもとにしてうまれた東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)が開業、渋谷ー横浜間に住宅地を開発します。

 

 

郊外の開発によって、大阪の梅田駅や東京の渋谷駅・新宿駅など、省線電車とよばれた都市部の国有鉄道と私鉄との乗換駅では、毎日大量の乗客が乗り降りするようになりました。

 

 

 

労働者の目が賃金や労働時間といった働く条件だけでなく、人間らしい生活を実現することに向かうようになり労働運動によって生活水準もある程度上がってくると、余暇や娯楽への要求も高まりました。

 

 

それまで裕福な人々を相手にしていた企業も、労働者という新たな消費者に気付き、彼らを家族ぐるみで取り込む商品やサービスをうみだすようになります。都市にある職場と郊外にある住居をむすぶ私鉄の沿線には、デパートや劇場のほか、野球場・遊園地・温泉・ホテル・映画館といった新たな娯楽施設が建設されました。

 

 

このうちデパートは地方都市も含めて開業があいつぎ、人々にあたらしい生活様式についての情報を発信する場所になりました。東京の三越百貨店や大阪の高島屋はその代表的な例です。

 

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