大正時代の民本主義と国政調査|大正デモクラシー

加藤高明内閣のもとで1925年、植民地などを除き、25歳以上のすべての男性に衆議院議員の選挙権をあたえる男子普通選挙が実現します。いっぽう、女性については参政権や教育制度を整えることなどが法案として衆議院に提出されました。1926年3月10日の審議当日、国会議事堂の女性用傍聴席は満席になり、新聞がその後3月10日を「婦人デー」と表現しました。

 

 

女性参政権問題は大正時代末期から昭和にかけて、くりかえし政治課題として審議されますが、結局アジア・太平洋戦争前には女性の選挙権は認められませんでした。

 

 

男子普通選挙の実現後、政党内閣は7年間続き、国内では軍備の縮小、外交では国際協調をめざす政策が推進されていきます。選挙で衆銀の第一党となった政党を中心に内閣をつくることを「憲政の常道」といいます。

 

 

このように、第一次世界大戦後の流れのなかで政党政治が発展し、普通選挙法が成立した大正から昭和にかけての時代はデモクラシー(民主主義)がとなえられ、自由主義の風潮が高まった時期でした。これを理論によってささえたのが、吉野作造の民本主義と美濃部達吉の天皇機関説です。

 

 

天皇に主権がある大日本帝国憲法の原理と民主主義の理念とのあいだには矛盾がありました。それを吉野は主権がどこにあるかは問題にせず政治が一般民衆の意向にそって、一般民衆のためにおこなわれることが重要だとして、それを民本主義と名付けました。その具体的な手段が、普通選挙と政党内閣制の実現だったのです。

 

 

いっぽう当時の憲法学者である美濃部達吉の天皇機関説は、天皇が国家を統治する権利をもつという天皇主権説に対して、議会重視の立場から統治権をもつのは天皇個人ではなく国家であるとします。そして、天皇は統治権を実際に使う最高機関であるとして天皇の権利を制限しようという考え方でした。これにより、国民の代表機関である議会には、政府を規制する権限があることが理由づけられました。

 

 

大正時代のころの、こうした民主主義への運動や社会の流れを「大正デモクラシー」とよんでいます。

 

 

1920年、第1回の国勢調査が行われました。この調査では台湾・朝鮮・樺太・南洋諸島なども含め、大日本帝国全域に住むすべての人々の家族構成が調べられました。日本の総人口は約7700万人で日本列島以外にも2000万人以上の人々が住むようになっていました。また、大都市への人口集中がすすんでいることもはっきりしました。

関連ページ

普通選挙法と治安維持法
恐慌のはじまり
大正時代のアジアのナショナリズム
大正時代の列強の対立ー三国同盟と三国協商ー
第一次世界大戦
第一次世界大戦への日本の参戦と二十一カ条の要求
第一次世界大戦中のロシア革命とソビエト政府
第一次世界大戦でのアメリカの参戦と講和への道
講和会議とベルサイユ条約
国際連盟という組織(大正時代)
総督府による武断政治とは
三・一独立運動と五・四運動
大正時代の日本による朝鮮・中国支配から独立運動の広がり
中国とインドの独立
大日本帝国の拡大(大正時代)
大正時代の米騒動のはじまり
大正時代の労働運動の広がり
大正時代の衣食住に関する民衆の意識|社会運動の展開
大正時代の政党内閣と普通選挙
大正時代の政党内閣と普通選挙
大正時代の都市と郊外の発達
大正時代の文化の広がりと世界恐慌
世界恐慌とナチス登場
ナチスの台頭とブロック経済
昭和恐慌と軍縮会議
満州事変と五・一五事件
大正時代、国際連盟からの脱退
治安維持法と満蒙開拓団、帝国の拡大と再編
満州国と日本の進出
大正時代、加速する戦争
日中戦争の始まり
広がるファシズム運動
大正時代の日本軍の中国侵攻
大正時代の「抗日」が持つ意味
大正時代の戦争への動員体制
大正時代、朝鮮に対する皇民化の強化
アジア太平洋戦争への道
第二次世界大戦のはじまり
大政翼賛会
真珠湾攻撃
大東亜共栄圏の建設
大正時代の戦場での生活・銃後の生活
アジア・太平洋戦争における空襲と学童疎開
アジア・太平洋戦争での沖縄戦での犠牲
アジア・太平洋戦争、連合国の戦後構想
アジア・太平洋戦争原子爆弾の投下
原爆投下の影響
アジア・太平洋戦争終戦後の新しい世界の幕開け
ポツダム宣言
民主主義への道のり
敗戦国となった西ドイツと日本の違い