大正時代の米騒動のはじまり

1918年8月2日に政府はシベリア出兵を決めました。軍の食料として大量に必要となった米は激しく値上がりしました。米の値上がりを期待して大戦でもうけた成金や資本家など資本を持った人々が米を買い占め始めたからです。

 

 

小作人に米を納めさせる地主たちも値上がりを期待して売り惜しみをしました。ある都市では米の値段が8月2日を前後して1.5倍以上になりました。米の大幅な値上がりは全国で起こりました。

 

 

すでに大戦景気で物価は上昇していました。富山県魚津町の漁民の主婦46人は、米が魚津港から日本国外へと運び出されるのを差し止めようと港に集まりました。このころ、米は現在の時代よりもはるかに食生活の中心をしめていました。米の値段の異常な値上がりは米を買わなければならない多くの人々の生活を追い詰めます。

 

 

魚津の主婦たちは、かけつけた警察に解散させられましたが、この動きはすぐに富山県内に広がります。「米を売れ」「他の地域に運び出すな」と地主や成金、米商人のところに集団で押しかけて蔵や店を破壊する「打ちこわし」が次々に起こりました。こうした事件をまとめて「米騒動」と呼びます。

 

 

 

新聞がこの事件を8月2日に「越中女一揆」として報じると、米騒動は名古屋・京都・大阪・神戸・東京などの大都市圏をはじめ、北海道や九州の炭鉱などにも一瞬で広まり、約500もの地域で70万人が参加する大事件に発展しました。

 

 

これに対し政府は全国に広がった米騒動を「世の変乱」と伝えた大阪朝日新聞を発行停止にするなど言論の弾圧によって情報が広がるのを防ごうとします。また、10万人を超える軍隊を70カ所に出動させて、武力で米騒動をおさえつけ、9月なかばには事件は終息にむかいます。これにより米騒動の参加者からは多数の死傷者のほか、8000人をこす逮捕者がでました。

 

 

いっぽうで政府は緊急対策として台湾・朝鮮から日本の内地に向けて米を運び出したため米騒動は朝鮮半島にも広がりました。

 

 

 

米騒動は政治的な行動ではなく、生活を守ろうとする庶民たちがおこした自然発生的な騒動でした。しかし本来、主食となる米を安定して供給させることは政府の課題です。

 

 

多くの富豪層が登場するいっぽうで、主食さえいきわたらないほど貧しい人々がいることに多くの人が気付き始めました。

 

 

人々の生活の格差に対し、それぞれの能力や働きの差が原因ではなく、政治のしくみや社会の問題として考え、その改善を訴えるようになっていくのです。

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