大日本帝国の拡大(大正時代)

第一次世界大戦後、日本は産業の発展が著しく、三井・三菱・住友などは銀行業を中心に鉱山・海運・造船など多角的な事業をおこなう財閥として、経済活動をリードします。

 

 

借金ばかりだった日本が大戦を通して債権国にかわっていました。企業家は海外にも投資できるほどになったのです。政府の保護を得て、台湾や朝鮮などの植民地への投資も広がりました。

 

 

中国では上海や青島などに「在華紡」とよばれた紡績工場をいくつもつくりました。山東問題に関する新たな条約が結ばれたとはいえ、7年以上におよぶ占領を通して手に入れた商業上の利益はそのまま日本が確保しました。この時期、日本人のくらしが少しずつ良くなっていくいっぽうで、長時間の低賃金労働など、植民地や中国の人々の生活を追い詰めていきました。

 

 

 

このころ日本は日本列島の周辺に同心円を描くようにその領域を広げていきました。地理的に近かったので、日本からは官僚や軍人だけでなく、農民や漁民をはじめ、一般民衆も数多く植民地・占領地へとわたって生活しました。

 

 

とくに朝鮮や中国では、人種的にも文化的にもちかい日本人が、軍事力を背景として贅沢な暮らしをしていたことが現地の人々の反感を買いました。

 

 

新たに勢力圏とした南洋諸島は太平洋の熱帯の島々でした。日本人はこの地域を「未開」の「楽園」のイメージでとらえるとともに、「一等国民」意識で島民たちに接します。

 

 

そして、ほかの植民地と同じように、日本への同化政策をすすめます。サイパン島などでは日本人移民が、先住民族のチャモロより圧倒的に多くなります。南洋諸島へは沖縄から移民が多く渡ったほか、朝鮮人もわたっていました。

 

 

もっとも朝鮮からは日本内地で暮らすようになった人が格段に多く、その数も年々増えていきました。とはいえ、1930年代の中ごろまでは在日朝鮮人よりも在朝日本人のほうが多くいました。

 

 

 

 

大日本帝国の勢力圏では、日本人を頂点に重層的な支配関係が見られました。琉球処分以後、ヤマト化がはかられながらも「旧慣」がしばらく温存された沖縄では、県全域で参政権がみとめられ、地方制度が他府県並みになったのは1920年のことでした。こうした沖縄の人々も、朝鮮人に対しては上にあり、朝鮮人もチャモロに対しては上にあるという意識がありました

 

 

。大正デモクラシーの時代には国内では社会階層や男女を超えた平等を目指す動きがありましたが、国外では日本を優位におく社会の構造が作られていったのです。

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