大正時代の中国とインドの独立

孫文は中国独立のためには、社会主義勢力とも連携していこうと考えます。国民党が提唱して広州につくられた「黄埔軍官学校」では、辛亥革命に参加した軍人である蒋介石が校長をつとめ、中国共産党の周恩来や毛沢東も、この中国軍養成に関わっていました。

 

 

しかし、様々な立場の人々を一致団結させていた孫文が亡くなると蒋介石がひきついだ国民党と共産党とは激しく対立します。都市部での戦闘についていけない民衆も増えていきました。

 

 

 

 

いっぽうインドでは、ガンジーが非暴力・不服従運動を展開しながら、イギリスにインドの独立を求めていました。イギリス製品のボイコット運動では、イギリスから送られてくる綿製品を買わず、家庭にある糸車でつむいだ糸で綿織物をつくって着よう、と呼びかけます。

 

イギリスが専売制をしいていた塩をインドに取り戻そうとする運動も民衆の共感を呼びました。ガンジーはインドの伝統や地域文化を取り入れることで新しい国づくりのための運動を民衆に根差した幅広いものへと展開させていきます。

 

 

 

列強のなかでもとくにアメリカとイギリスは、日本の中国での行動を国際的に規制するとともに中国で成長してきた独立運動や、中国人企業家の経済活動などを少しずつ支援するようになっていきます。

 

 

パリ講和会議後に、アメリカのワシントンで、軍縮や中国の共同管理を議題の中心にすえた国際会議が、あいついで開かれました。このころにはシベリア出兵の失敗もあきらかとなり、すでにアメリカもほかの国も兵をひきあげていました。

 

 

しかし日本だけは勢力拡大の足かがりにしようと、シベリアの軍事占領をつづけ、アメリカから非難されていました。1921年に日英同盟が廃止され、新たにアメリカ・フランスが加わって、日本・イギリス・アメリカ・フランスが加わって四か国条約が結ばれました。そして、1922年の九か国条約では、未解決のまま山東半島で日本が握っていた権益が中国に返還されることになりました。

 

 

アメリカとイギリスは、第一次世界大戦後の国際協調のなかで、日本の勢力拡大にストップをかけたのです。日本はついにシベリアからも撤退します。10億円の軍事費をかけたシベリア出兵は完全な失敗に終わりました。日本の軍部には、これらを不満に思う人もいました。

 

 

それでも、第一次世界大戦を前後して、日本は経済的に急成長をとげていました。大戦後に日本の貿易は黒字に変わり、多くの外貨を手に入れることができました。

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