大正時代の日本による朝鮮・中国支配から独立運動の広がり

日本の朝鮮・中国支配に疑問を強めた人もいました。吉野作造はそのひとりです。彼は朝鮮人を蔑視・虐待しているようでは同化はできない、同化政策をやめて独立民族である朝鮮人の気持ちを理解した統治を、と訴え、中国に対しても「同情と尊敬」をもって接することを主張します。のちに首相になる石橋湛山も独立運動を共感をもってうけとめ、また、美術評論家の柳宗悦は「反抗する彼らよりもいっそう愚かなのは圧迫するわれわれである」と訴えました。

 

 

こうした主張が日本人一般の認識を変えたわけではありませんでしたが、日本は「三・一独立運動」や「五・四運動」をきっかけに、植民地支配の方法を変えました。台湾ではしばらく軍人にかわって文官が総督になりました。

 

 

朝鮮では「文化政治」のもとで、部分的に民族的な活動が許されるようになりました。朝鮮の文字ハングルで新聞を発行することが認められ、青年運動、女性運動も広がります。もっとも、弾圧の強化ですでに朝鮮半島内で独立運動をおこなうことは難しくなっていました。独立運動の拠点は、朝鮮半島の外へ移ります。「三・一独立運動」の直後には、上海に大韓民国臨時政府がたてられます。中国や満州が朝鮮の独立運動の拠点になっていきました。

 

 

 

ロシア革命後、自分たちのことを自分たちで決める権利をもとめる動きは民族や国家を超えて広がっていきます。労働者や農民といった、同じ社会的地位や利害をもつ階級を単位に、国境を越えて連帯し、自決権をもとめる方法も現実にうまれたのです。

 

 

列強各国は資本主義を否定する社会主義の広がりを強く抑え込んでいきますが、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦が誕生します。社会主義運動は民族主義に対し、インターナショナルを唱えました。インターナショナルは、世界規模での社会主義運動の組織名にもなりました。

 

 

 

このように1920年代ごろは、独立をめざす人々のあいだで同じ民族であることを中心に団結する民族主義と、同じ労働者階級であることを中心に団結する社会主義が、次第に対立するようになっていきます。

 

 

中国では、辛亥革命で清朝が倒れたのち、軍事力をもって地域を支配してきた「軍閥」が、各地域ごとに権力をにぎっていました。清朝にかわって、北京をおさめていた政府も、そうした有力軍閥の一つでした。

 

 

そうしたなかで孫文は第一次世界大戦や「五・四運動」がもたらした変化を敏感につかみ、中国国民党を組織します。

 

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