三・一独立運動と五・四運動

1919年3月1日、朝鮮の独立が宣言され、朝鮮全土で平和なデモが行われること、ウィルソン大統領と列強が朝鮮を援助してくれること、朝鮮は自由な国になると朝鮮の学校で教師たちが語り、生徒たちを連れて街にでて、何千人という人々とともに歌いながらスローガンをさけびながら行進したと話しています。

 

 

この「三・一独立運動」は朝鮮全域で約3か月続きます。中国や沿海州など朝鮮人が数多く移り住むようになっていた地域も含めれば1年にもわたって展開しました。インドや中国の人々にも共闘が呼びかけられた非暴力の運動でした。

 

 

東京では2月8日に朝鮮人留学生らが独立宣言文を発表していましたが、日本政府の弾圧を受けていました。総督府は3月3日に予定されていた高宗の国葬に人々があつまることは予想していたものの、1日に独立宣言書が発表され、ソウルのパゴタ公園でデモが始まることは気づいていませんでした。

 

 

「朝鮮独立万歳」を叫びながらのいたって平和なデモ行進だったとはいえ、学生・宗教家から労働者・農民まで加わった大規模なデモが突然はじまったことに総督府は驚き、軍隊を投入して発砲しながらこれを鎮めます。ソウル南方の都市である水原の堤岩里では、人々を閉じ込めた教会に日本軍が火をかけます。17歳の少女、柳寛順が西大門刑務所で拷問を受けて死亡したことも、今なお、韓国・朝鮮の人々の心に刻まれています。

 

 

 

いっぽう中国でも「14カ条」への期待は高く、上海では祝賀行事が続きました。そのため、講和会議で山東省の権益が日本にわたることになったことが伝わると日本政府とこれを認めた中国代表に対する民衆の怒りが高まります。5月4日、北京では学生たちが「二十一カ条の要求」を取り消せ、青島を取り戻せ、と抗議デモをはじめます

 

 

学生の宣言文には「三・一独立運動」のことも引き合いに出されていました。中国政府がデモを弾圧すると抗議デモは各都市へと広がります。上海では、日本商品のボイコット運動や、労働者のストライキがあいつぎました。この「五・四運動」の高まりにより、中国政府はついにベルサイユ条約の批准を拒否しなければならなくなりました。

 

 

日本が山東省の権益を手に入れるのを押しとどめたのも、この「五・四運動」でした。台湾でも「五・四運動」に応じた民衆運動が起こります。このような抗日運動の高まりに対して、日本の世論は、これを民族自決を求める運動だとは理解せず、暴動だと非難しました

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