総督府による武断政治とは(大正時代)

パリ講和会議では、おもにヨーロッパ地域の戦後処理に関する議論が行われました。そこで次に列強のあいだで大きな議題になったのは、軍備の縮小とアジア・太平洋地域における利害調整の問題です。とくに中国での日本の行動に警戒の目が集まりました。

 

 

台湾と朝鮮を植民地にした日本は、台湾人や朝鮮人の戦いを軍事力で鎮圧しながら、いっぽうでは総督府のもとで強力な支配体制を築き上げようとしていました。また、南満州鉄道株式会社の事業拡大に象徴されるように、中国でも勢力を広げていました
総督府とは、植民地を支配するための統治機構で台湾にも朝鮮にもそれぞれ総督府がおかれました。

 

 

そのトップに君臨した総督には陸海軍大将などが選ばれました。朝鮮総督は天皇直属でした。総督は、植民地の行政・立法・司法の3権だけでなく、軍の指揮権までも持っている強大な権力者でした。台湾でも朝鮮でも、はじめのうちは武力をもって支配する「武断政治」をおこないました。

 

 

 

日本は台湾の植民地支配を「未開」な地域を「文明化」するという、イギリスによるインド支配などをモデルにすすめます。そして民族自決をもとめる台湾の人々を押さえつけました。特産物のサトウキビ栽培を奨励して製糖業を拡大し、麻薬の一種であるアヘンや樟脳・塩などを専売制にして管理しました。

 

 

また、台湾でも朝鮮でも、総督府による土地調査が行われました。朝鮮総督府は、併合直後からほぼ10年かけて土地調査事業を行い、朝鮮王朝の直営地だったところや、持ち主が所有権を証明できない土地を取り上げました。総督府はこうして得た広大な土地を国策会社である東洋拓殖株式会社に払い下げます。

 

 

これは1908年に設立された、日本の朝鮮に対する経済的な支配の中心でした。国策会社とは、国の政策を具体化するために国が支援してつくった会社のことです。土地をうしなった農民は生活に困って、そこではそれまでのように暮らせなくなっていきます。

 

 

 

パリ講和会議で、アメリカ大統領ウィルソンが民族を訴えたことは、アジアの人々にも大きな衝撃を与えました。そのとき、15歳の少年だった朝鮮人の独立運動家キム・サンは「アリランのうた」という本のなかで、このころの知識人ならだれでも「14カ条の講和原則」を暗記していたといっています。

 

 

そして1919年3月1日の朝、中学校の教室で先生がおごそかに生涯忘れられないくらい美しいことばにあふれた話をしたと語っています。

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