第一次世界大戦中のロシア革命とソビエト政府

大戦前の日本は輸入が多く、外国に借金するばかりの債務国でした。しかし、戦場ではなかった日本は西欧諸国が戦争に忙殺されるなか、中国をはじめ、アジア・アフリカへ綿糸や綿製品などの輸出を急速に拡大していきました。ヨーロッパへの軍需品の輸出も好調でした。日本とは比べ物にならない規模で戦争景気にわいていたアメリカへも生糸の輸出が飛躍的に拡大しました。

 

 

いっぽうヨーロッパでは長引く戦争と増え続ける死傷者により、開戦当初とは異なり、戦争を嫌悪する人々が増えていきました。各国で政府の戦争政策を批判し、戦争の目的をはっきりさせろという声が高まります。戦争はすでに生活の隅々までを覆っていました。ドイツやオーストリア、ロシアでも食料供給率が下がり、ドイツでは主要食料品に加え、衣服や靴も配給の対象になっていきます。

 

 

武器弾薬や軍需物資の大規模な増産により、工場での労働力の不足が深刻になり、農民が都市の軍需工場で働くようになったり、家庭をでて外で働く女性の数も増えていきます。戦争の勝敗は戦地での兵士の戦いや軍事力だけで決まるのではなく、資源や生産力など、戦争をすすめる国全体の総合的な力に大きく影響されるようになりました。第一次世界大戦は、あらゆる人と力を総動員して戦う「総力戦」だったのです。

 

 

 

この戦争を終わらせるひとつの重要なきっかけになったのはロシアでおこった革命でした。1917年3月、ロシアでは人々の不満が大きなデモとなって爆発しましたが、軍隊はこれを抑えることができません。

 

 

皇帝ニコライ2世は退位し、ロシア帝国は崩壊しました。これにかわって11月に世界初の社会主義政権(ソビエト政権)を誕生させたレーニンは交戦国すべてに、いますぐ「公正な講和」をむすぼうと呼びかけます。戦争の勝ち負けによって領土や賠償金を取り合うことのない「無併合・無償金」の講和でした。

 

 

そしてレーニンは、これまでにロシア帝国が結んできた秘密条約の内容を世界に公表します。世界中の人々に、この戦争で自分たちは帝国主義の利害対立の犠牲になってきたのだと語り、政府がすぐに講和に応じなければ、みんなで各国政府を打倒しようと訴えます。

 

 

 

この「平和に関する布告」を受けて、列強は互いに戦うどころではなくなりました。各国政府は国民の非難にさらされますが、戦争の大義名分が説明できません。この混乱を救ったのはアメリカ大統領ウィルソンでした。

 

関連ページ

普通選挙法と治安維持法
恐慌のはじまり
大正時代のアジアのナショナリズム
大正時代の列強の対立ー三国同盟と三国協商ー
第一次世界大戦
第一次世界大戦への日本の参戦と二十一カ条の要求
第一次世界大戦でのアメリカの参戦と講和への道
講和会議とベルサイユ条約
国際連盟という組織(大正時代)
総督府による武断政治とは
三・一独立運動と五・四運動
大正時代の日本による朝鮮・中国支配から独立運動の広がり
中国とインドの独立
大日本帝国の拡大(大正時代)
大正時代の米騒動のはじまり
大正時代の労働運動の広がり
大正時代の衣食住に関する民衆の意識|社会運動の展開
大正時代の政党内閣と普通選挙
大正時代の政党内閣と普通選挙
大正時代の民本主義と国政調査|大正デモクラシー
大正時代の都市と郊外の発達
大正時代の文化の広がりと世界恐慌
世界恐慌とナチス登場
ナチスの台頭とブロック経済
昭和恐慌と軍縮会議
満州事変と五・一五事件
大正時代、国際連盟からの脱退
治安維持法と満蒙開拓団、帝国の拡大と再編
満州国と日本の進出
大正時代、加速する戦争
日中戦争の始まり
広がるファシズム運動
大正時代の日本軍の中国侵攻
大正時代の「抗日」が持つ意味
大正時代の戦争への動員体制
大正時代、朝鮮に対する皇民化の強化
アジア太平洋戦争への道
第二次世界大戦のはじまり
大政翼賛会
真珠湾攻撃
大東亜共栄圏の建設
大正時代の戦場での生活・銃後の生活
アジア・太平洋戦争における空襲と学童疎開
アジア・太平洋戦争での沖縄戦での犠牲
アジア・太平洋戦争、連合国の戦後構想
アジア・太平洋戦争原子爆弾の投下
原爆投下の影響
アジア・太平洋戦争終戦後の新しい世界の幕開け
ポツダム宣言
民主主義への道のり
敗戦国となった西ドイツと日本の違い