第一次世界大戦への日本の参戦と二十一カ条の要求

開戦当初、三国同盟のひとつであったイタリアは参戦を拒んでいました。オーストリアとのあいだに領土問題を抱えていたため、中立を宣言したのです。イタリアはそれまでの戦争で「失われていた領土」の回復をかかげて、戦争途中から三国協商側である連合軍に加わって参戦します。

 

 

建国以来、ヨーロッパの戦争には介入しないという「孤立主義」政策をとってきたアメリカは、戦争には参加していませんでした。しかし日本の反応は違いました。元老の井上馨は第一次世界大戦の開戦を「日本国運の発展に対する大正新時代の天祐」と喜びます。日本が発展していくために、開戦は天のたすけであるというのです。

 

 

このころ、イギリスはドイツの武装商船に悩まされていました。武装商船とは、商船に大砲を装備し、油断している敵の商船に近づいて攻撃するものです。イギリスは日本に指定した海域でドイツの武装商船を撃破することに限って、戦争への協力を求めます。これに対し、大隈重信首相は逆に、日本は東アジア全域からドイツの勢力を追い出すと答えます。日本の勢力拡大をおそれたイギリスは協力のもとめを取り消しますが、日本はそれを押し切ってドイツに宣戦したのです。参戦決定は、天皇が出席する御前会議や議会にもかけていない、政府の即断でした。

 

 

 

日本軍はドイツ領だった南洋諸島と中国でのドイツの租借地である山東省に進みます。中国政府は日本の軍事行動に抗議しますが、日本は青島を占領します。青島を占領したときは東京で花電車の祝賀パレードが行われ、多くの人々が集まりました。

 

 

日本は中国からの撤兵要求を拒否しただけでなく、日本が中国にもつ権益について21カ条からなる膨大な要求を行います。その内容は、ドイツが山東省にもつ権益を日本に譲ること、旅順・大連の租借権や満鉄の利権の期限を延長すること、南満州や東部内蒙古にある鉱山の採掘権を与えること、などでした。

 

 

 

 

この「二十一カ条の要求」に対して中国各地で日本商品のボイコットなど激しい反日運動が巻き起こりました。イギリス・アメリカも抗議します。日本は日本人の政治、経済、軍事顧問を中国政府が雇うことなど要求の一部は取り下げますが残りの内容を5月9日に認めさせました。中国ではこの日を「国恥記念日」としています。

 

 

第一次世界大戦はヨーロッパをおもな戦場として戦われましたが、このように日本はアジア・太平洋地域への勢力拡大の機会として行動しました。

 

関連ページ

普通選挙法と治安維持法
恐慌のはじまり
大正時代のアジアのナショナリズム
大正時代の列強の対立ー三国同盟と三国協商ー
第一次世界大戦
第一次世界大戦中のロシア革命とソビエト政府
第一次世界大戦でのアメリカの参戦と講和への道
講和会議とベルサイユ条約
国際連盟という組織(大正時代)
総督府による武断政治とは
三・一独立運動と五・四運動
大正時代の日本による朝鮮・中国支配から独立運動の広がり
中国とインドの独立
大日本帝国の拡大(大正時代)
大正時代の米騒動のはじまり
大正時代の労働運動の広がり
大正時代の衣食住に関する民衆の意識|社会運動の展開
大正時代の政党内閣と普通選挙
大正時代の政党内閣と普通選挙
大正時代の民本主義と国政調査|大正デモクラシー
大正時代の都市と郊外の発達
大正時代の文化の広がりと世界恐慌
世界恐慌とナチス登場
ナチスの台頭とブロック経済
昭和恐慌と軍縮会議
満州事変と五・一五事件
大正時代、国際連盟からの脱退
治安維持法と満蒙開拓団、帝国の拡大と再編
満州国と日本の進出
大正時代、加速する戦争
日中戦争の始まり
広がるファシズム運動
大正時代の日本軍の中国侵攻
大正時代の「抗日」が持つ意味
大正時代の戦争への動員体制
大正時代、朝鮮に対する皇民化の強化
アジア太平洋戦争への道
第二次世界大戦のはじまり
大政翼賛会
真珠湾攻撃
大東亜共栄圏の建設
大正時代の戦場での生活・銃後の生活
アジア・太平洋戦争における空襲と学童疎開
アジア・太平洋戦争での沖縄戦での犠牲
アジア・太平洋戦争、連合国の戦後構想
アジア・太平洋戦争原子爆弾の投下
原爆投下の影響
アジア・太平洋戦争終戦後の新しい世界の幕開け
ポツダム宣言
民主主義への道のり
敗戦国となった西ドイツと日本の違い