第一次世界大戦

サラエボ事件をきっかけに7月に始まった第一次世界大戦は人々がそれまで考えてきた戦争のイメージを大きく覆すものでした。ヨーロッパでは大規模な戦争が長い間起こっていなかったので戦争の記憶が薄れていました。徴兵された人々は国をあげて愛国心が煽り立てられるなか、胸をはって戦場へむかいます。兵士となった民衆はもちろん、各国の指導者や軍人たちも戦争はすぐに終わると思っていました。

 

 

しかし実際には戦争はいつまでたっても終わらず、兵士たちはその過酷さを思い知らされます。第一次世界大戦は死傷者がそれまでとは比較にならないほど増えた戦争でした。その原因の一つは近代兵器が使われるようになったことです。機関銃が多用されるようになり、馬に乗って突撃するこれまでの戦法では戦えなくなります。そのため、銃弾から身を守るための塹壕という深い溝を地面に掘りながら進む「塹壕戦」とよばれる戦法が広がりました。また、戦場には戦車が登場し、飛行機による空からの攻撃も本格化します。

 

 

特にドイツ軍は、こうした新型兵器を駆使してこの戦争を戦いました。飛行船ツェッペリンや飛行機を使った空襲でロンドンやパリでは一般の人々も被害を受けるようになりました。それまでは戦争は軍人が行うもので住んでいるところが戦場にならない限り、民間人が被害を受けることはあまりありませんでした。しかし第一次世界大戦を始まりとして、民間人の被害はますます増えていくことになります。また、ドイツ軍の潜水艦Uボートによる攻撃は、イギリス海軍を苦戦させます。催涙ガスなどの化学兵器も多くの軍で使われました。こういった「新兵器」が、その威力をためす舞台として戦争が使われたのです。

 

 

兵士の移動には車や鉄道が活用され、多くの兵士が一挙に遠方に送られます。戦争が長引くにしたがって戦力が不足し、列強は次第に自国の植民地・占領地からも兵士や労働者をヨーロッパの戦場へと送り込み始めます。アジアも例外ではありません。ベトナムや中国の人々もヨーロッパへ送られました。インドからは中東にも兵士が送られました。こうした人々は特に危険な作業や重労働を命じられることがありました。

 

 

このように近代戦は空中や海中にまで及ぶ広大な空間と、世界の広い地域を戦争に巻き込んでいったのです。
こうしたなか、日本はイギリスとのあいだに日英同盟を結んでいることを理由に、ドイツに対して宣戦を行い、中国にあるドイツ領に攻め込みます。

 

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