大正時代のアジアのナショナリズム

欧米列強による世界の分割がすすむいっぽう、これに対して民族で一致団結して抵抗し、新しい近代国家をうちたてようという動きも、世界中に広がっていました。目指されたのは自分たちのことは自分たちで決めることができる国づくりです。こうした自決権の確立をもとめて各地でナショナリズムが高まっていきました。

 

 

 日本では明治維新を通して、江戸幕府にかわる大日本帝国をうちたてましたが、東アジアでは列強による激しい領土争いが続いていました。日本にとって独立を維持し発展するために欧米とむすんだ不平等条約の改正は、とても重要な課題でした。日本は、日清戦争を前後して、外国の治外法権を廃止させ、さらに韓国併合の翌年、1911年に、日米通商航海条約を改訂するなかで、ついに関税自主権も完全に取り戻すことができました。しかし、こうした日本のあゆみは、同時に中国や朝鮮などアジアの民衆との対立や戦いをまねくものでした。

 

 

 朝鮮でも、金玉均のクーデターや甲午農民戦争など、朝鮮王朝を改革、打倒して新しい国家をつくろうという運動が起こりました。しかし、うまくはいきませんでした。日本はこうした運動に深く介入し、1910年、ついに朝鮮を植民地として支配して独立を奪いました。

 

 同じく中国でも、清朝を倒すのはかんたんなことではありませんでした。列強や日本による揺さぶりのなか、中国政府からも近代改革をすすめる動きが起こりましたが、うまくいきませんでした。民衆の改革を要求する声も外国勢力の助けを借りて抑え込むような状況でした。しかしついに、1911年に辛亥革命が起こります。日本への留学経験を持つ人々も多く参加し、1912年1月には南京に孫文を大総統とする中華民国臨時政府がつくられ、2月に清朝の宣統帝(愛新覚羅溥儀)は退位します。

 

 

 このような激しさをます列強による世界分割の動きと、それに抵抗するナショナリズムの高まりの中で大正時代ははじまりました。日本でも自由や平等、貧富の差の解消をもとめる民衆の動きが様々な分野で活発になります。しかし、同時に帝国主義国の仲間入りをはたした日本では「一等国」としての優越感が民衆にも広がり、ほかのアジア人を劣等視したり周辺地域に勢力を拡大する動きも見せます。

 

 

 そのころヨーロッパでは列強同士の対立も激しさをましていました。ヨーロッパ以外の地域が分割されつくすなか、ヨーロッパの外での対立がヨーロッパ情勢に直接結び付くようになっていきます。

 

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