国学の展開と江戸の教育

 元禄年間まで学問は孔子や孟子の教えである儒学が中心でしたが、江戸時代中期以降になってくると「万葉集」や「古事記」などの日本の古典を勉強して、古い日本の本当の姿を探ろうとする国学が盛んになりました。

 

 

 遠江国の賀茂神社の神職の家に生まれた賀茂真淵は、やがて江戸にでて8代将軍吉宗の子である田安宗武に仕えました。彼は「万葉集」などを研究して、多くの書物を残しました。そして「日本の古い時代の人々は清く正しい人々で日本は優れた国だった。それが中国から仏教や儒教が入ってきてから日本人の心が悪くなった」と主張しました。

 

 

 真淵の門人だったのが伊勢国松坂で生まれた本居宣長でした。宣長は父親の死後、京都に出て医者になろうとします。そして京都で医術や儒学を学びながらも日本の古典を研究する国学に興味を持ちました。その後、松坂に戻って小児科の医者をしながら「古事記」を研究し、古い日本のすがたをあらわそうとしました。宣長は35年をかけて「古事記伝」44巻を完成させました。この本は古事記を研究する上で現在でも重要な書物となっています。宣長の教えは門人たちによって受け継がれていきます。平田篤胤はその代表です。彼は古くからの日本に伝わる純粋な信仰を重んじ、儒教や仏教を強く排斥しました。

 

 

 18世紀のなかば以降、それぞれの藩の藩政改革の一つとして藩校が作られました。藩校は藩の政治をになう優秀な人材を育てるため藩士の教育をおもな目的としましたが民衆にも門戸を開く藩校もありました。藩校では儒学や国学のほかに算術・医学・洋楽・兵学・天文学など実用的な科目を教え、学生の年齢や習熟度によってクラスをわける等級制も採用しました。
 江戸時代後期には藩校だけでなく教育熱が地域や身分を超えて広がります。このころ全国各地で多くの寺子屋が開かれたことも関係しました。

 

 

 江戸時代の町人や農民の多くは夫婦と彼らの父母、子供で暮らしていました。人々は子供が6,7歳ほどになると寺子屋へ通わせました。ひとつの町内や村内にはいくつも寺子屋がありました。子供たちはそこで「読み書きそろばん」を習いました。これらの技能は生活していくために、また商家に奉公に行くためにも必要な能力でした。武家を希望する女子には琴・三味線・踊りなども教養として教えました。

 

 

 寺子屋で教えているよりも高等な学問を身に着けたいと考える人々は、さらに個人が運営する私塾に通いました。

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