大塩平八郎の乱

 国内で飢饉や一揆が増加していたころに大坂では大塩平八郎の乱がおきました。

 

 

大塩平八郎は26歳のとき、代々、大塩家がつとめていた大坂町奉行所の与力になります。彼はその人柄や真面目な仕事ぶりから庶民の信望を集めました。15歳からつとめ、38歳で与力を辞職すると学者としての生活に入ります。
 大塩は私塾の洗心洞を開き、与力・同心・豪農などの子弟に儒学のひとつである陽明学を教えました。陽明学は知ることと行動することを一致させる「知行合一説」を唱えていました。

 

 

 そのころ大坂の市中でも天保の飢饉による餓死者が多くでていました。1836年、大塩は大坂東町奉行の跡部良弼や三井・鴻池らの豪商に対して貧しい人々を救うように申し入れをします。しかし大塩の申し入れは受け入れられず、町奉行所は幕府の指示によって同じく米不足で悩む江戸へ米を送っていました。また、豪商のなかには米を買い占めて儲けようとするものもいました。
 そこで大塩は1837年2月、自分の持っている本、約5万冊を3日間かけて売り出し、これで得た620両あまりのお金を貧しい人々1万軒に配りました。

 

 

 さらに大塩は江戸にいる老中の水野忠邦や水戸藩主の徳川斉昭らに手紙を送り、大坂町奉行や諸大名が不正を働いたり、米を買い占めて庶民を苦しめていることを告発しようとしましたが失敗しました。大塩はついに幕府に対して反乱をおこすことを決意し、彼の主張と計画を易しい文章でまとめ、大坂近くの村に配りました。大砲や武器、弾薬も手に入れて反乱の実行にそなえます。
 そして2月19日早朝、大塩一門のほか、貧しい農民や町人、被差別民などからなる300人ほどは大砲を放ち、「救民」の旗をかかげて進撃しました。彼らは豪商の住む船場など、大坂市街地の約5分の1を焼き払い、豪商からうばった米やお金を貧しい人々に配りました。しかし幕府軍が到着すると寄せ集めの大塩勢は、わずか半日で鎮められました。

 

 

大塩は40日間にわたり身を隠しましたが、幕府の役人に発見され自殺しました。この事件では最終的に死刑40人を含む約800人が処罰され、消失した家屋は3300軒を上回りました。幕府の役人であった大塩が、幕府の直轄地である大坂で反乱を起こしたことは幕府に大きな衝撃を与えました。

 

 

 この騒動で家を焼かれた大坂市中のまずしい人々は大塩をうらむどころか、かえって「大塩さま」とあがめました。大工や日雇い人も火災などからの復興の仕事を得ることもありました。

 

 

 そののちに大塩の主張に同調する一揆や打ちこわしが各地でおこりました。

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