江戸時代のキリスト教の弾圧

 江戸時代初期ごろは戦国時代の争乱のなかで精神的にも経済的にも不安定な状況におかれていました。これに対し、キリスト教の宣教師たちは医療・福祉・教育などの分野を通じて積極的に民衆の不安や不満を解消していったのです。この時期にキリスト教が急速に広がった背景にはこうした事情がありました。

 

 

 1587年、豊臣秀吉は長崎が事実上、キリスト教会の領地となっていることに衝撃をうけました。このため日本を「神国」と位置づけ、キリスト教信者を「天下のさまたげ」としてバテレン追放令をだし、キリスト教を禁止する政策を開始します。しかし、カトリックの国であるスペインやポルトガルは貿易とキリスト教の布教を一体のものと考えていました。このため、スペインやポルトガルと貿易を続けるかぎり、徹底した禁教は不可能でした。

 

 

 江戸幕府も、はじめは秀吉の方針をうけついでいましたが、1612年からは本格的にキリスト教の弾圧をはじめました。その理由はスペインやポルトガルよりおくれて日本に進出したプロテスタント(キリスト教新教)の国であるオランダが「スペインやポルトガルは日本を植民地にしようとねらっている」と告げたことを信じたためと言われています。オランダは日本との貿易を独占したいと考え、スペインやポルトガルを撤退させようとしていました。また、キリスト教の教えは神ゼウスの教えを第一としていましたが、これは主君にしたがうことを絶対とする日本の考え方に反するものであり、幕府はこれを見過ごすことができませんでした。

 

 

 1616年8月、幕府は中国船以外の外国船の寄港地を長崎と平戸の2港にかぎりました。イギリスはオランダと同じプロテスタントの国でしたが、1623年平戸の商館を閉めて日本との貿易から退きました。その理由はイギリスが東アジアや東南アジアでオランダとの競争に敗れ、このころ日本が必要としていた生糸や絹などの商品をじゅうぶんに持ち込むことができなかったからです。

 

 

 1624年、幕府はスペイン船の来航を禁止します。また1629年には長崎でキリシタンを捕らえるためにキリストやマリアの像を踏ませる絵踏みをおこないました。さらに1635年には外国船の来航を長崎に限るとともに、日本人の海外渡航と帰国を禁止しました。翌1636年には長崎の有力商人25人に命じて長崎港内に出島と呼ばれる人工の島をきずきました。そして長崎市中に住んでいたポルトガル人をすべてそこに移して日本人と同じ地区に住むことを禁止したのです。

 

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