江戸時代 日本町と鎖国への道

朱印船貿易が活発になると、東南アジアの町に多くの日本人が移り住むようになり、各地に日本町がうまれました。フィリピンのディラオやサンミゲル、ベトナムのツーランやフェフォ、タイのアユタヤ、カンボジアのピニヤルーやプノンペンなどが知られています。これらの町では日本人が町の政治をおこない、日本と同じ服装をして、日本の法や風俗・習慣にしたがって生活をしました。日本町の住民には貿易商人のほかに豊臣秀吉の弾圧をのがれてきたキリシタンや主君のいない浪人などもいました。

 

 

 カンボジアにあるアンコールワット遺跡には九州の平戸藩の森本右近太夫という武士が1632年に書いた「千里の海をこえてきた」という意味の落書きがのこっています。彼は日本から朱印船でわたってきたといわれています。アンコールワットには、ほかにも江戸時代の日本人の落書きがみられますが、これはほかの日本町から訪れた人々が書いたもののようです。また、交易でさかえたベトナムのホイアンにはこのころにかけられ、現在も「日本橋」とよばれている橋があります。

 

 

 1611年ごろ朱印船に乗ってシャム王国(現在のタイ王国)にわたった山田長政は駿河国の出身で、日本では武士につかえて駕籠をかつぐ仕事をしていました。その後、シャムにわたると能力を発揮してアユタヤの日本町の長となりました。長政は使節を日本に送るなどして日本とシャムの交流をすすめました。シャム国王ソンタムの信頼を得た長政は太守という高い位につきましたが国王の死後、王位をめぐる内乱にまきこまれます。長政は王位をうばった新王と対立し、南方のリゴームの総督に追いやられました。ここで隣国のパタン王国から侵入してきた軍隊とたたかい、足を負傷しています。その後、長政を暗殺するように命じられた者が傷口に毒を塗り、長政は1630年に41歳で亡くなったと伝えられています。

 

 

 このころ日本人は武勇にすぐれたものとして、東南アジア諸国やオランダ、ポルトガルなどに大量にやとわれ、現地での戦闘に参加していたのです。

 

 

 しかし、1631年、朱印船貿易にそれまでの朱印状のほかに老中の奉書(許可証)を必要とする奉書船制度が追加されます。これによって貿易できるのは角倉・末吉など7人の豪商だけになりました。さらに鎖国体制が整っていくなか、1635年に全面的停止により朱印船貿易はなくなりました。

 

 

 その後、鎖国体制が強化され、本国との交通が閉ざされると海外の日本町もしだいに衰え、18世紀には消滅していきました。

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