江戸時代の中国と朝鮮と朱印船貿易

 17世紀になるとシベリア沿海から中国東北部にいた女真族が力をつけ、1616年ヌルハチを王として後金を建国します。後金は明王朝が衰えたのを見て南下していき、ついに1644年に明をたおすと清と国名をあらためていたこの国は北京を占領し中国全土の支配をすすめていきました。

 

 

 一方で朝鮮は清を認めず自国の文化が清より優れているという意識をもっていました。豊臣秀吉が朝鮮侵略の失敗をしてから徳川家康は、この朝鮮を武力で支配するのではなく平和的に貿易を拡大させていく方針をとりました。それは朝鮮だけに留まらず、ポルトガル、スペイン、オランダ、イギリスなどのヨーロッパ船や中国船の来航をもとめるというものでした。そして関が原の戦いが終わったあとの1602年、貿易を希望する西国の大名や商人に対して朱印状を交付する朱印船貿易制度をつくりました。

 

 

 朱印船貿易制度はフィリピンのルソンやインドシナ半島のトンキン、チャンパ、シャム。マレー半島のパタニ、中国南東部のマカオや台湾、南シナ海沿岸、南洋諸島各地で広く行われるようになります。

 

 

 朱印船は90トンの小船から800トンの大船にいたるまで様々でした。朱印船は1604年から35年までの32年間に少なくとも356隻は渡航していたのです。

 

 

 朱印船貿易を行ったのは加藤清正、島津家久、有馬晴信ら西南諸国の大名や京都の角倉与一、茶屋四郎次郎、大坂の末吉孫左衛門、長崎の末次平蔵らの豪商、また来日イギリス人のウィリアム・アダムスら外国人でその数は100人以上に及びました。彼らは貿易により大きな利益を得たのです。

 

 

 徳川家康は1600年に日本に漂着したオランダ船リーフデ号の航海士でオランダ人のヤン・ヨーステンと水先案内人のウィリアム・アダムズを江戸に招いて外交や貿易の相談役に任命し、イギリスやオランダとの貿易を行いました。アダムズは後に三浦安針と名乗ります。また、家康はスペインの領土だったメキシコにも京都の商人の田中勝介を送って通商を目指しました。このように家康は諸外国との友好的な外交を積極的に行ったのです。

 

 

 ポルトガル人やスペイン人は南蛮人とよばれ、オランダ人やイギリス人は紅毛人と呼ばれました。このうちオランダ人やイギリス人は平戸に商館を開設することと自由な貿易を認められました。

 

 

 朱印船貿易では日本からは銀・銅・鉄・硫黄・扇子・蒔絵・陶器など、鉱産物や工芸品が輸出されました。いっぽう外国からは生糸・綿織物を中心に絹織物・毛織物・香料などが輸入されました。

 

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