江戸時代の農民の自治とゆるやかな身分制

 江戸時代の農民の生活は厳しかったイメージが持たれがちですが本当にそうだったのでしょうか?まず農民たちは田植えや稲刈りの忙しいときはたがいに協力しあいました。屋根の修理や川の堤防工事、川さらいや堀さらい、道の補修などは総出で働きました。

 

 

 いっぽうで農民たちは正月やお盆、田植えや稲刈りが終わったあとなどに年間で約30日の休日をとっていました。休日はしだいに増えていき、休日には町にでかけたり芝居を見に行ったりしました。

 

 

 15歳くらいから結婚するくらいまでの若者たちは「若者組」を結成し村内の警備や消防、道路工事など村の共同作業をおこなう一方、村の祭りや休日をしきるようになっていきました。自分たちで歌舞伎や相撲などの興行を行い、村役人たちに臨時の休日を要求したりもしています。

 

 

 飢饉が起きたときや村の神社を修理するため、また、伊勢参りなどのためにお金を積み立てました。江戸時代後半にはこれらの積立金を交代で使い各地に旅行するようになりました。こうして農民たちは自分たちで村を運営するようになっていたのです。

 

 

 これは農民だけに限らず、それぞれの身分のひとたちは協力して生活していくようになりました。身分は親から子へと受け継がれ、人は生まれたときから身分を決められていました。身分によって服装や住む場所が決められ結婚も同じ身分同士で行われていました。

 

 

 しかし実際には農民の次男や三男が町人の養子になったり、町人の次男や三男が武士の養子になるなど身分を越えることもありました。町人がお金をだして武士の身分を手に入れたり武士の次男や三男が浪人をへて学者・作家・画家、町人の養子などになることもありました。士農工商という身分の枠組みはありましたが、それぞれの「家」を続かせるために様々な養子縁組が行われていたのです。

 

 

 女子の場合はさらにゆるやかでした。たとえば町人の娘でも容姿が美しいものや親類関係でのコネを持つ娘などは江戸城の大奥に迎えられることもありました。

 

 

 ちなみに5代将軍綱吉を産んだ桂昌院は京都の野菜売りの娘と言われ、7代将軍家継を産んだ月光院も町人の出身です。また、8代将軍吉宗を産んだ浄円院は農民の娘とも罪人となった医者の娘とも、あるいは西国巡礼の女性の娘だったとも言われています。どちらにせよ身分は低かったのでしょう。

 

 

 このように江戸幕府は「家」を基本とする身分制を確立していくことで人々の生活の安定をはかったのです。

 

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