江戸時代の身分制度 士農工商

 豊臣政権がおこなった兵農分離政策を発展させて、江戸幕府は士農工商という身分制度をつくりました。上から順番に武士・農民・そして町人である工人(職人)・商人です。しかし実際には、その下にも「えた」「ひにん」と呼ばれる被差別民を置いていました。彼らは革製品を作ったりしながら死んだ牛馬の処理や、掃除、犯罪者の処刑などみんなが嫌がるような仕事をさせられていました。幕府は彼らを特定の地域に住まわせて差別し、農民や町人の不満をそらそうとしたのです。農民は全人口の8割を占めていたので、それを全体の1割もいない武士が支配するには不満の捌け口が必要だったのでしょう。

 

 

 そのほか、天皇につかえる公家たちも幕府から給与をあたえられました。これに対する「役」としてそれぞれ特定の家ごとに和歌・蹴鞠・呪術や祭祀をおこなう陰陽道などの家業にはげむようにさだめられました。彼らはこうした家業を人に教えることで指導料を受け取ったのです。また、公家は大名家と婚姻関係を結び、大名から経済的な援助をうけました。たとえば、薩摩藩島津家と近衛家は親密な関係にあり、島津一門出身の篤姫は13代将軍家定と結婚する際に、一度近衛家の養女となり公家の娘として家定に嫁いでいます。

 

 

 また、幕領には勘定奉行支配下の郡代や代官という役人が派遣され、その下に村長にあたる名主などの村役人が置かれました。この「名主(なぬし)」は荘園制の「名主(みょうしゅ)」と字は同じですが、読み方や意味も異なるので注意が必要です。関西では庄屋、東北では肝煎とよばれました。

 

 

 一般農民としては土地をもつ本百姓がおり、その下に土地を借りている水呑百姓と隷属農民の名子・被官がいました。本百姓が負担する税には様々なものがありますが、主となる年貢は本年貢で税率はだいたい四公六民でした。生産物の40%が年貢として取られるわけですが、現在の法人税などもそれくらいの税率なので基本的にはあまり変わらないかもしれません。年貢は村でまとめて名主が納めるしくみとなっており、武士は村役人の協力があってはじめて年貢を徴収できました。村の自治もある程度認められ、村の掟を違反したものは村八分といって周りからの付き合いを絶たれました。

 

 

 幕府は税を集める関係からも本百姓ばかりであることを望んでいました。土地を手放して水呑百姓に転落してしまうと税収が落ちるのです。

 

 

 そこで1643年に幕府は田畑永代売買の禁令をだしました。「百姓は死なぬように、生かさぬように」の徹底のはじまりです。

 

関連ページ

関が原の戦いと幕府開設 
方広寺鐘銘事件と大阪の陣
幕府のしくみと徳川家光の政治
江戸幕府の役職と支配 大老・老中・若年寄・奉行とは
江戸時代の農民の自治とゆるやかな身分制
江戸時代の中国と朝鮮と朱印船貿易
江戸時代 日本町と鎖国への道
江戸時代のキリスト教の弾圧
島原・天草一揆
南蛮船来航禁止と鎖国と対馬
鎖国中の長崎の窓口
江戸時代、鎖国中の薩摩の窓口
鎖国中の松前の窓口
江戸時代の交通と流通の発達
江戸時代の農業の発達
江戸時代の政治-武断政治から文治政治へ-.
江戸時代の幕府の浪人(牢人)対策
江戸時代将軍綱吉と生類憐みの令
新井白石の正徳の治
8代将軍吉宗誕生
享保の改革
享保の改革 目的・内容・成果
9代将軍徳川家重の時代
老中・田沼意次による田沼政治と重商主義
松平定信と寛政の改革
江戸時代の藩政改革とすぐれた藩主(名君)
大塩平八郎の乱
水野忠邦と天保の改革
江戸時代の学問の発達
江戸時代の出版、川柳、狂歌
江戸時代の化政文化とは
江戸時代の文化-浮世絵などの絵画
江戸時代の医学 蘭学の発展
国学の展開と江戸の教育
江戸時代のロシアの南下
欧米の進出とアヘン戦争
江戸幕末の幕府内部の対立
日米修好通商条約の影響と尊皇攘夷思想
安政の大獄と桜田門外の変
生麦事件と尊王攘夷
新撰組と尊皇攘夷志士
討幕派の形成と民衆運動
世界を知る男、ジョン万次郎
江戸幕府の終わり
坂本竜馬の生涯
大政奉還と王政復古
江戸城開城