幕府のしくみと徳川家光の政治

 

一国一城令

 

 豊臣家を滅ぼした家康は最後の仕事にとりかかりました。まず一国一城令を出して、大名たちに「大名が住む以外の城を壊せ」と命じたのです。戦いの意思のないことを示させたのです。その上で大名が守る決まりごととして武家諸法度を制定しました。ここには居城を修理する際には幕府の許可が必要だとか、新たに城をつくってはいけないとかが記されています。大名が反乱をおこせないような制度を作り上げたのです。大名同士の婚姻に幕府の許可が必要であるというのもこれに含まれます。 

 

禁中並公家諸法度

 武家諸法度と同時に朝廷が守るべきルールとして禁中並公家諸法度も制定しました。江戸時代にも摂政・関白、左大臣や右大臣などの公家は存在していました。幕府は彼らに政治的な力を持たせたくはなかったのです。将軍という立場で政治を行いたい幕府は将軍を任命する朝廷を滅ぼすわけにはいかなかったということもあります。

 

親藩・譜代・外様

 幕府は大名を親藩・譜代・外様の3つに分類して配置しました。親藩は徳川氏の一族で、なかでも秀忠の兄弟がおこした尾張藩、紀州藩、水戸藩の3つは御三家と呼ばれ特別な扱いをうけました。譜代大名は関が原の戦い以前から徳川氏に仕えていた大名で、大老や老中など幕府の重要な役職につき、政治を運営しました。外様大名は関が原の戦い以後、徳川に仕えた大名で石高が大きい大名でも重要な役職にはつけませんでした。

 

 

 この大名というのは将軍から1万石以上の領地をもらった者のことです。その領地を「藩」といい、大名は藩主としてある程度自由に政治を行いました。例えば、年貢率は自由でしたし、のちには藩札とよばれる地域紙幣も発行しました。将軍に対しては江戸への参勤やお手伝い普請とよばれる土木工事をおこなう必要はありましたが、年貢を納める必要などはありませんでした。

 

参勤交代

 参勤に関しては3代将軍の家光の時代に参勤交代が義務付けられました。これは大名の妻子を人質として江戸に住まわせ、大名自身は国元に1年住んだら次の1年は江戸に住むという具合に行ったり来たりさせる制度です。これは大名の経済負担を重くして余分な財力をつけさせないようにしたのです。
 大名と家臣が毎年大勢での大移動をしているせいで交通はもちろん、貨幣経済も発達していきました。大名たちは国元と違って江戸では領民が居ないため、すべてをお金で入手する必要があったためです。物資運搬や労働力としての町人が増えたおかげで江戸の人口は100万人にも達し、世界一人口が多い都市へと成長しました。

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