老中・田沼意次による田沼政治と重商主義

 9代将軍家重と10代将軍家治の時期に老中として政治を行ったのが田沼意次です。
意次の父は紀州藩の足軽でしたが、紀州藩主だった吉宗が将軍になると吉宗に従い旗本になりました。意次ははじめ家重の小姓でしたが、1758年に大名になって10代将軍家治の側用人へとすすみ、1772年には老中になりました。彼が評定所に出席するようになった1758年から老中を退任する1786年までの約30年間を「田沼時代」といいます。

 

 

 意次の政治はこれまでのように年貢を重くして幕府の収入を増やしたり倹約して支出を減らしたりするものではありませんでした。彼は農業が経済の中心になっていることに限界を感じていました。農業だけでなく商業や流通に注目して、こちらの収入を増やして幕府の財政をたてなおそうとしたのです。このように商業と流通を重要なものを考える政治を重商主義と呼びます。

 

 

 意次の代表的な政策は、株仲間を承認したことです。株仲間とは、独占的に営業する権利を認められた商工業者の同業者組合です。つまり、株仲間に入らないと材料や製品の仕入れや販売もできないようにしたのです。逆に、株仲間に入れば自分たちだけで利益を独占することができます。こうした権利を与える代わりに幕府は運上金や冥加金とよばれる税金を納めさせました。それまでは年貢という農地からあがる税金が幕府の収入の中心だったのにたいして商工業者がおこなう営業活動についても税金をかけるようにしたのです。

 

 

 意次はまた、長崎での貿易を拡大するために輸出品の銅を集める銅座や俵物を集める俵物役所を長崎奉行のもとに設置して輸出を奨励しました。さらに蝦夷地を開拓し、ロシアと交易することを計画して北方を調査しましたが、この計画は実現しませんでした。

 

 

 この時期には商人の経済力を利用した新田開発を試みています。たとえば1780年代、幕府は江戸や大坂の町人の経済力を借りて利根川水系の印旛沼や手賀沼を干拓して新田開発を行いました。しかしこの開発計画は工事の途中で大洪水にあい、中断しました。

 

 

 意次は吉宗の政治に習い、蘭学を保護したので学問や芸術も発達しました。

 

 

 しかし商人の力を利用する意次の経済政策は農業を基本と考える保守派から批判を受けました。また、役人に対して不正にお金や品物を贈る賄賂の風潮が広まり、庶民からも批判が出始めました。さらに天明の飢饉が起こり飢えと疫病で死者は13万人に及びました。田沼意次はこうした社会不安が高まるなか失脚していったのです。

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