9代将軍徳川家重の時代

1745年に吉宗が将軍を引退してから1758年に老中の田沼意次の政治がはじまるまでは9代将軍家重の時代でした。この時期、幕府には吉宗や田沼のような強力な指導者はいませんでした。

 

 

 吉宗の長男である家重は言語障害があったこともあり、将軍になってからも自分の意思を周囲にうまく伝えることができませんでした。家重の近くに使えていた小姓の大岡忠光だけが家重の言葉を理解できたと言われています。このため忠光の給与は初めは米俵300俵でしたが、若年寄をへて側用人にすすみ、さらには武蔵国岩槻藩主にまで出世し2万石になりました。これは約170倍ほどの出世です。しかし彼は積極的に政治を主導するような性格の人物ではありませんでした。

 

 

 吉宗の田沼という二人の個性的な政治家に挟まれた時期ということで地味な印象はありますが、幕府の権力を強くして国家の仕組みを整えなおそうとする政策は享保の改革に引き続きこの時期もありました。例えば政治を行うときはあらかじめ予算を決めてこれを守るようにするということなどは享保の改革で整えられた官僚制度を発展させたものです。

 

 

 また、この時期、幕府はみずからの権力を強めることで各藩をまとめようとしました。1758年に美濃国郡上藩でおこった郡上一揆を見るとその様子がわかります。一揆は戦国時代以前にもみられましたが、江戸時代には法令で禁止されていました。しかし農民たちは違法と知りながらも年貢の引き下げや役人の不正を訴えて一揆を起こしたのです。これを百姓一揆といいます。江戸時代の百姓一揆というと農民たちがそれぞれ武器を持って領主の軍勢と戦う姿を浮かべるかもしれませんが、実際は指導者の指示に従い役所や城下に押しかけて奉行たち役人と話し合いをしました。一揆を起こした人々の言い分が認められ重い処罰をまぬがれる場合も多かったのです。

 

 

 郡上一揆は郡上藩主の金森氏が厳しい財政を立て直すために幕府老中の本多正珍らの力を借りて税を増やそうと計画したことがきっかけです。これに対して郡上の農民たちは集団で強く反対の意思をしめす強訴や、老中酒井忠寄が乗った駕籠を待ち受けて直接訴える駕籠訴を行うなど抵抗しました。一揆の結果、指導者4人が処刑されましたが、郡上藩主の金森氏は改易となり老中の本多正珍も処罰されました。金森氏への重い処罰は、このころの幕府がそれぞれの大名を厳しく抑えることができていたことをしめしています。

 

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