享保の改革

 徳川吉宗はまず、幕府の収入を増やすために大名が参勤交代で江戸にいる期間をそれまでの1年から半年に縮め、そのかわりに大名の領地1万石につき100石の米を幕府におさめさせました。その一方で、厳しい倹約を命じ、幕府の支出を減らしたのです。
 吉宗が将軍になった1716年から1745年までの政治は、このころの年号をとって享保の改革と呼ばれます。

 

 

 紀州藩からつれてきた武士たちで自分の側近をかためるなどして将軍の権力を強めました。そのひとつ、もと紀州藩士によって結成された御庭番は、幕府と藩の評判や役人の様子、社会の情報をひそかに集めました。

 

 

 1721年には、目安箱が設置されました。目安箱は町人や農民から意見や提案をうけつける投書箱でした。吉宗は、自分で鍵をもち、箱を開けて投書を読みました。ただし、名前や住所のないものは無視しました。

 

 

 目安箱の投書から、貧しくて十分な医療を受けられない人々のための無料の病院を作るべきだという町医者の意見が採用され、小石川養生所が設立されました。また、江戸の町を火災から守るために家の屋根を瓦葺に変えるべきだという意見も参考にされました。他にも新田開発に関する意見などもあり、こういった庶民の意見を吉宗が直接聞くことで具体的に行動にでたのです。

 

 

 また、吉宗は庶民が生活する上で大切だった米価を調整しました。大名たちに米を売らないように命じたり、農民に酒造りを奨励したり、飢饉への対策として城や村の蔵に米を蓄えさせるなどして米の流通量を減らし、米価の引き上げを図りました。吉宗は常に米価を気にして米価に関する政策を考えていたことから「米将軍」というように呼ばれました。

 

 

 1717年吉宗は大岡越前守忠相を江戸の町奉行に任命し、都市政策に取り組ませます。

 

 

大岡は「いろは四十八組」とよばれる町人の火消組合を結成しました。この町火消は組ごとに異なる纏や半纏をまとい、はなやかな江戸のファッションとしても有名になりました。

 

 

 1723年、将軍吉宗は幕府の各役職の責任者を江戸城内に集め、足高の制を申し渡します。
江戸時代の武家社会では、それぞれの家ごとに与えられた給与にふさわしい役職につきました。身分に応じた服装、家臣への給料、仕事でのつきあいの費用など役職ごとの様々な負担は、自分の給与から支払うため、給与の高い家が負担の大きい役職につき決まりだったのです。それを吉宗はその役職に任命された人が基準に達していない給与だった場合、在職中に限り、不足分を支払うことにしました。これによって実力はあるのに給与が足りていないというケースは解消されたのです。

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