5代将軍綱吉の死後、1709年に6代将軍に就任した家宣は、さっそく生類憐みの令を廃止します。そして柳沢吉保をしりぞけて儒学者の新井白石と側用人の間部詮房を重く用い、彼らを通じて政治を行いました。新井白石は歴史や思想から地理・言語などにいたるまで幅広い分野で著作を残した人物です。特に政治から身を引いてから執筆した「折りたく柴の記」は自身の生い立ちから政治を引退するまでを記した自伝として知られています。

 

 

 家宣が3年後に亡くなると、子の家継がわずか4歳で7代将軍に就任します。政治は、引き続き新井白石たちが主導しました。この時期の政治は家宣と家継の時期の年号をとって「正徳の治」と呼ばれます。

 

 

 正徳の治では、朝廷にあらたに閑院宮家を創設し、幕府が毎年1000石を提供して幕府と朝廷の関係を親密にしました。このころの朝廷は財政が苦しく幕府の力を借りなければ天皇家に新たな分家を作ることもできなかったのです。

 

 

 また、朝鮮からやってくる通信使の待遇を簡素にした上で、それまで朝鮮国王から将軍への国書に「日本国大君殿下」と書かれていたのを「日本国王」と改めさせました。これは中国の古典によると「大君」は天子(天皇)を意味することから一段低い「国王」が適切だと考えたためです。

 

 

 他方、朝鮮では「大君」は世継ぎをさし、「国王」より低い意味になるので、これをさけたかったとされています。いずれにしても白石は将軍を日本国王とすることで朝鮮国王と将軍が対等な関係にしようと考えたのです。

 

 

 さらに白石は5代将軍綱吉の時代に発行された質の悪い貨幣を改め、質の良い正徳小判を鋳造させて、物価の上昇をおさえようとしました。しかし、あらたに造られた貨幣の量が十分ではなかったため、社会を混乱させる結果になりました。

 

 

 そのほか、長崎での貿易に関し、1715年に海舶互市新例を出して貿易額を制限しました。これは中国船は年30隻・銀3000貫を限度とするというものでした。このころ長崎貿易で輸出額より輸入額のほうが大きく、金銀の海外への流出が激しかったため、白石はこれを防ごうとしたのです。しかし制限がかかるまでにかなりの金銀が海外へ流出してしまいました。

 

 

 このように、幕府は4代将軍家綱の時期に政治の方針を武力による武断政治から儒教による文治政治へと大きく舵をとりました。それは泰平の到来とともに戦国時代から続いた武力に基づく政治から儒学に基づく政治への転換をしめすものでした。

 

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