江戸時代将軍綱吉と生類憐みの令

政治の安定と経済の発展を受けて4代将軍家綱のあとをついだ5代綱吉は、文治政治をいっそうおしすすめました。

 

 

 綱吉の政治は、はじめは大老の堀田正俊が補佐していました。しかし将軍の居間から一部屋おいただけの場所で正俊が暗殺される事件がおこると老中たちのしごと部屋は安全のために将軍の居間から遠くに移されました。そこで将軍と老中たちのあいだを行き来して双方の意思をつたえる役割をはたす側用人が重要な存在になったのです。こうしたなか、暗殺された正俊にかわって実力者になったのが将軍綱吉の小姓から側用人にすすんだ柳沢吉保でした。小姓とはいつも主君のそばにいて警護や雑用を行う役職です。吉保は綱吉の信頼を得て政治を主導し、大きな力を持つようになりました

 

 

 また、綱吉は林信篤を林家の私塾である昌平コウの長官に任命するとともに儒教を教える湯島聖堂を建てるなど儒教を重視しました。他方では、仏教も尊重し、1685年から20年あまりのあいだ、繰り返し生類憐みの令をだしました。そして犬をはじめとする、すべての動物を大切にすることを命じたのです。1695年から96年にかけて江戸近郊の中野には約29万坪の広大な犬小屋がもうけられ、10万匹以上の野犬が収容されました。この法令によって庶民の不自由は広がり、犬を食べる習慣もなくなりました。

 

 

 しかし、綱吉のころ幕府の財政は深刻な赤字に陥りました。年貢収入が一定だったのに対して経済の発展とともに旗本らの生活水準が上がり、これを補うために幕府の支出が増えたからです。江戸前期に豊富だった鉱山の産出量も少なくなりました。

 

 

 また、1657年におきた明暦の大火の被害は大きく江戸城と市街の再建費用は莫大な額にのぼりました。このため、それまで非常用に江戸城に蓄えられていた銅を鋳直して貨幣を作り、これらの支払いにあてました。

 

 

 さらに仏教を尊重する姿勢から寺院の造営や修復を積極的に行ったことも支出を増やした原因でした。

 

 

 そこで幕府の財政を担当する勘定吟味役(のちの勘定奉行)の荻原重秀は幕府の収入を増やすために貨幣を改鋳し、質を落とした金銀貨を大量に発行しました。この結果、幕府は大きな収入を得ましたが、質の悪い貨幣が出回ったために貨幣の価値が下がって物価が上昇するなど社会は混乱したのです。

 

 

 さらに1707年には富士山が噴火して駿河国や相模国などでは、火山灰がふったことで農作物にも大きな被害がでたことも混乱を増長させました。

 

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