江戸時代の政治-武断政治から文治政治へ-.

 徳川家康から3代将軍家光の時代までつづいた武力によって国を治める「武断政治」は一面では幕府の権力を強める役割をはたしましたが、しかしいっぽうでは多くの大名を取り潰したため大量の浪人が発生し、治安や風俗が悪くなるなど政治的・社会的な問題をひきおこしました。関が原の戦いで家康に味方した福島正則や加藤清正の家も潰されていたのです。そこで17世紀なかば以降、幕府はそれまでの武断政治から古代中国で孔子が開いた学問である儒教にもとづく政治である「文治政治」へと大きく転換していきました。

 

 

 1651年4月20日、将軍家光は48歳で亡くなり、家光の子の家綱がわずか11歳で将軍に就任します。これまで2代将軍秀忠が就任したときには家康が、3代将軍家光が就任したときには秀忠がそれぞれ「大御所」として新将軍を補佐していました。しかし家綱には頼れる大御所はいなかったのです。この幼い将軍を補佐したのが家綱の叔父の保科正之など家光の代から仕えてきた譜代の老臣たちでした。このうち、伊豆守であった老中の松平信綱は才知にたけていたことから「知恵伊豆」と呼ばれ、大きな役割を果たしました。

 

 

 彼らは将軍家光の時代までの将軍主導による独裁的な政治ではなく、大老や老中などが話し合って物事を決める政治へと幕府の政治を転換させました。これも武断政治から文治政治へという政治方針の変更に関連するものでした。

 

 

 家綱が正式に将軍に就任するのは家光の死から4ヵ月後ですが、その隙を狙うように2つの大きな事件がおこりました。松平定政事件と慶安事件です。

 

 

 1651年7月徳川氏一門で三河国刈谷2万石の藩主松平定政は近頃の幕府政治はあまりにも幕府権力の強化のみで旗本たちの貧困ぶりは見ていられないとして、自分の領地・屋敷・武器などをすべて幕府に返上すると申し出たのです。さらに定政は髪を剃って僧侶となり江戸の町を托鉢して歩くという行動に出ました。幕府は定政の行動を「狂気」として処分しました。

 

 

 さらに事件は起こります。これは軍学者として名高い由井正雪を中心とする2000人に及ぶ浪人たちの反乱未遂事件です。正雪たちの計画では江戸で丸橋忠弥が行動を起こし、江戸を混乱に陥れます。これと同時に京都・大坂でも反乱をおこし、正雪は駿河国で陣取り東西の浪人を指揮するというものでした。

 

 

 しかし仲間から密告者が出て丸橋は捕らえられ、追い詰められた正雪は自殺しました。そして事件に関わったものたちも順に処罰されていきました。これが慶安事件です。

 

 

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