鎖国中の松前の窓口

 北の蝦夷地(現在の北海道)では、アイヌの人々が暮らし、独自の文化がさかえていました。1604年、幕府は蝦夷地の支配体制をさだめ、松前藩主が蝦夷地におけるアイヌの人々との交易を独占することをみとめました。北海道南部を領地とする松前藩は、寒冷な気候のため領地で米が取れませんでした。そこで藩士がアイヌの人々と交易してニシン・サケ・昆布などの海産物や毛皮・木材・鷹などを入手して収益を得ることを許したのです。アイヌの人々は千島列島・樺太・中国の東北部とも交易しており松前藩はさらに北方の産物も手に入れることができました。

 

 

 しかし本州から蝦夷地に渡ってきた人々はアイヌの人々の漁場を荒らしたり、蝦夷地の奥地にも入り込み、アイヌの人々の生活をおびやかすようになりました。より多くの産物を求めた松前藩は上級の家臣に「商場」を単位にアイヌと交易する権利を与えたため、藩士たちはアイヌの居住地へも入り込んでいったのです。アイヌに不利な交易を強制したり、狩猟の場も荒らすことでアイヌの人々の反発をかっていきました。

 

 

 こうした状況のなかで、1643年、西蝦夷地のアイヌの人々が首長ヘナウケを中心に松前藩に対してたちあがりました。しかし松前藩は鎮圧軍を送り、これを制圧しました。その後、1669年、東蝦夷地のシブチャリを拠点とする首長シャクシャインに率いられたアイヌの人々2000人がたちあがりました。273人の日本人が殺害され、商船17隻が襲われましたが、松前藩は鉄砲を装備し、津軽・南部・秋田・仙台など東北諸藩も松前藩を支援したため、アイヌの人々は次第に追い詰められました。優位にたった松前藩はシャクシャインに和議を申し入れ、その祝宴の席で彼を殺してしまいました。首長をうしなったことで戦いは収まりました。こののち、アイヌ社会は日本化し、松前藩の強い統制を受けるようになったのです。

 

 

 松前の窓口は蝦夷地の南部を領地とする松前藩の松前氏を通じた、アイヌの人々との交易ルートでした。江戸幕府は日本列島の南の琉球と北の蝦夷地をふくむ形で支配を確立していったのです。

 

 

 これらのように鎖国とは対馬・長崎・薩摩・松前の4つの窓口をつうじて、日本が対外関係を安定させた体制をいいます。鎖国体制のもと、日本人は海外への渡航や海外からの鎖国を禁止されました。戦国時代まで自由に海外の諸地域と往来し、交易していた人々は江戸幕府によって管理・統制されるようになったのです。

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