江戸時代、鎖国中の薩摩の窓口

 14世紀、琉球は沖縄本島に中山、山北、山南の3王国がならびたってあらそう、三山時代をむかえました。中国に明が成立すると、1372年に中山王の察度は明の洪武帝の招きに応じて入貢し、これにつづいて山北と山南も明との朝貢貿易を開始します。1429年には中山王の尚巴志が三山を統一し、琉球王国をたてて、都を首里におきました。王宮である首里城は1945年の沖縄戦で焼けてしまいますが、その後、守礼門や正殿などが復元され2000年には世界遺産に登録されました。

 

 

琉球王国はシャム・安南・マラッカ・スマトラ・ジャワなどの東南アジア地域をむすぶ中継貿易をさかんにおこないました。那覇は諸国の船が往来する国際都市として栄え、琉球王国は15世紀から16世紀にかけて大交易時代をむかえたのです。

 

 

 しかし、豊臣秀吉は朝鮮を侵略する際に琉球に対して島津氏への協力を命じました。その後、1609年には徳川家康の許可のもと、薩摩藩の島津家久が武力で琉球を征服し、検地をおこなって石高89000石をうちだします。また、農民から武器を取り上げる刀狩や武士と農民の身分的区別を明確にする兵農分離をすすめ、支配をつよめました。この結果、琉球国王の尚氏は島津氏に臣従し、島津氏は琉球から黒砂糖や貿易品を税として取り立てるようになりました。

 

 

 そのいっぽうで琉球は薩摩藩の指示のもと、中国との朝貢貿易もつづけました。明王朝に対して2年に一度、貢物を献上し、明から使者がきたときは日本の風俗や習慣をかくしました。薩摩藩は琉球と中国との朝貢貿易も管理し、琉球産の砂糖を中国に上納させるいっぽう、朝貢貿易によって得た産物を薩摩に送らせました。

 

 

 1634年、3代将軍家光が島津家久にあてた朱印状には薩摩・大隅・日向で655000石。また琉球で123700石の領地を与えると記されています。

 

 同年、琉球国王は家光が京都に上るときに将軍就職の祝賀使節を送りました。これをはじめとして以後、徳川家の将軍がかわるごとに代替わりを祝う慶賀使を江戸に送ります。また、国王がかわるごとに新しい国王の就任が許されたことを感謝する謝恩使を江戸に送りました。これら琉球使節は1634年から1806年までのあいだに、15回を数えました。幕府は琉球使節の行列に中国風の衣装を着ることを命じ、旗や楽器などをもたせました。こうすることで各地の武士や庶民にたいして、異民族である琉球人が徳川将軍に朝貢しているかのように演出したのです。

 

 

 薩摩の窓口は、薩摩藩島津氏を通じた琉球との外交ルートでした。

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