江戸時代、鎖国中の長崎の窓口

江戸時代、鎖国中の長崎の窓口

幕府の鎖国政策により、貿易港は長崎だけにかぎられました。長崎の窓口は幕府が直接管理するただひとつの貿易の窓口だったのです。1641年以降、出島に住まわされたオランダ人と1689年に長崎郊外の唐人屋敷に住まわされた中国人のみが貿易を許されました。また、長崎の出島や唐人屋敷に入ることができる日本人は通訳などにかぎられました。

 

 

 出島にはバタビアに本店をもつオランダ東インド会社の支店としてオランダ商館がもうけられました。ここにはカピタンとよばれる商館長をはじめ医師や事務員など10人から15人ほどのオランダ人が住んでいました。出島には商館長や商館員の住まい、長崎の商人が住む部屋、土蔵のほか、野菜や花を育てる畑や家畜小屋もあり、住人はナイフやフォークを使って食事をするなどヨーロッパ風の生活をしていました。

 

 

 出島はオランダ船が停泊しているときは多くの人々でにぎわいました。オランダ船は貿易の拠点になっているインドネシアの港から季節風を利用して毎年夏に来航しました。船が出島沖に錨をおろすと日本の役人が乗り込んで検査をします。そして積荷が陸へ運ばれました。その後、長崎奉行所の指示のもと貿易品の価格が決められ日本の商人に売り渡されました。

 

 

 オランダ商館長は幕府に許可されたお礼として1641年から1859年まで幕府に対して海外情勢を記した報告書である「オランダ風説書」を毎年提出しました。オランダ風説書はオランダ通訳が翻訳し、老中に送られました。また、商館長は毎年春には江戸の将軍のもとにあいさつにいきました。これをオランダ商館長の江戸参府といいます。江戸の人々のなかには商館長が滞在した長崎屋を訪れ、海外の情報を得ようとする人もいました。
 いっぽう、中国とは正式な国交をむすびませんでしたが、幕府が明の商船を歓迎したことから来航は活発になり、明が清に変わってもそれは変わりませんでした。

 

 

 貿易で中国との通訳をつとめる日本人は中国人が作成した文書や話したことをもとに「唐船風説書」とよばれる報告書を作り、老中に提出しました。

 

 

 中国との貿易額はオランダよりもはるかに大きく、中国は日本最大の貿易相手国でした。唐人屋敷は出島の3倍ちかくの広さで約2000人を収容しました。

 

 

 出島の貿易で中国やオランダからは生糸・絹織物・書籍・薬品・砂糖・香辛料などが輸入され、日本からは金・銀や海産物が輸出されました。のちに貿易額が大きくなると日本からの金や銀の流出が問題となりました。

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