11,南蛮船来航禁止と鎖国と対馬

 1639年、幕府はポルトガル船の来航を禁止しました。これで96年間にわたり日本と貿易をつづけてきたポルトガルは、その姿を消したのです。幕府の統制はオランダにもおよび1641年には平戸のオランダ商館をこわし、すべてのオランダ人を長崎の出島に移したうえでオランダ船の入港も長崎に限定しました。

 

 

 1689年には長崎に中国との貿易のために唐人屋敷をもうけて中国人の居留地をここに限定します。この場所に中国人約4900人が移住しました。約1万坪の敷地には2階建て19棟の住居のほか、店や寺院などがならんで日本人の町と隔てるためにまわりは塀でかこまれていました。

 

 

 こうして幕府はオランダ・中国・朝鮮以外の国との交流を禁止する鎖国体制を確立したのです。島原・天草一揆ののち、幕末にいたるまで日本国内では大規模な戦闘がおこることはなく、江戸時代の泰平が実現しました。

 

 

 鎖国中の日本は、長崎での中国とオランダとの貿易、対馬での朝鮮との外交、薩摩での琉球との交易、松前でのアイヌとの交易、この4ヶ所が江戸時代に日本が外国と接する主要な窓口でした。

 

 

 対馬の窓口は、日本列島と朝鮮半島の中間に位置し、古代から日本と朝鮮の交流地点であったことから決まりました。島の経済は両国のあいだの貿易によって支えられていたのです。

 

 

 日本と朝鮮との国交は1590年代の豊臣秀吉による2度にわたる朝鮮侵略ののち断絶していました。しかし徳川家康や対馬藩の宗氏らの努力により1607年にはじめて朝鮮国から使節が来日します。そして秀吉の時代に日本につれてきた朝鮮人を帰国させるなどして両国の関係を改善していきました。また1609年には対馬と朝鮮の友好が回復されたことをしめす「己酉約条」もむすばれています。

 

 

 その後、1636年にやってきた朝鮮国からの使節は通信使とよばれました。それから1811年までのあいだに江戸幕府の将軍が変わった祝いなどの名目で全部で3回の使節と9回の通信使が来日しました。

 

 

 通信使は正使・副使のほか通訳・学者・学士など総勢400人から500人にのぼる大規模で華麗な行列でした。一行はソウルを出発し釜山からは船で瀬戸内海を通って大坂に上陸します。大坂から江戸までは陸路で旅をしました。

 

 

 通信使の来日は大きな話題となり江戸では祭りのときに通信使の行列をまねる出し物もみられました。

 

 

 一方、通信使に対する日本からの返礼は幕府にかわって対馬藩がおこないました。対馬藩の宗氏は朝鮮の釜山にあった倭館という屋敷に藩士を住まわせ貿易や情報収集を担当させました。

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