江戸城開城

 新政府軍は東海道、東山堂、北陸道の3方面から江戸にむかって進撃しました。これに対し徳川慶喜は江戸城をでて上野の寛永寺大慈院にこもり新政府への服従と謝罪の意志をあらわします。

 

 

 しかし新政府は徳川家の権力が復活することを恐れ、なんとしても武力で旧幕府軍を壊滅させようと考え、これを認めませんでした。一方、旧幕臣の一部は薩摩藩・長州藩を中心とする新政府に対し強く反発し、服従を拒否して彰義隊を結成し、上野を占拠します。

 

 

 西日本を中心に各藩が次々と新政府に服従する意志をあきらかにするなか、新政府軍の江戸包囲は進められていきます。新政府軍はこのとき3月15日に江戸城を総攻撃する計画でした。

 

 

 

 総攻撃が行われれば江戸の町が戦火に包まれることは確実でした。こうした状況のなか、旧幕府陸軍総裁の勝海舟と新政府軍の参謀西郷隆盛が旧幕府軍降伏の交渉を行いました。

 

 

 そして慶喜を水戸藩に預けること、江戸城を明け渡すこと、軍艦や兵器を新政府軍に引き渡すことなどを条件に交渉が成立し、西郷は総攻撃の中止を命じました。これは総攻撃が予定されていた前日の3月14日のことでした。

 

 

 1868年4月、新政府軍は江戸城に入り、徳川慶喜は水戸へ退きます。新政府軍の次の目標は藩主の松平容保が京都守護職として長州藩や薩摩藩とたたかい、旧幕府軍の主力となっている会津藩でした。

 

 

 

 会津藩は新政府への服従を申し出ますが、新政府は厳しい条件を突きつけ会津を追い詰めていきます。東北地方の25藩は奥羽列藩同盟を結成し、会津を許すように新政府に願いでました。しかし新政府がこれを拒否すると北越の6藩を加えて奥羽越列藩同盟を結成し、新政府軍に対抗しました。

 

 

 江戸では新政府軍の諸藩兵17000人が長州藩の大村益次郎の指揮のもと、上野にたてこもる彰義隊を攻撃し、1日で制圧しました。新政府軍のもつ最新式の兵器の前には彰義隊の旧式の武器は無力でした。

 

 

 新政府軍は関東全域をおさえ、7月には江戸を東京と改めます。さらに9月には年号を慶應から明治へと改め明治天皇が京都から東京へと向かいます。このあいだ、新政府軍は越後国長岡藩を破り、新潟を占領して北越方面での戦いを終わらせています。

 

 

 そして8月には奥羽越列藩同盟の中心、会津藩との戦いがはじまりました。会津では16歳から17歳の少年たちで組織された白虎隊や女性たちも戦いに参加し激しく抵抗しますが9月に会津城を落城させて東北での戦いも終わらせました。

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